本日のローズンゲンの御言葉です。

「主はすべてを喪失した者の祈りを顧み/その祈りを侮られませんでした。」詩編102:18
「徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。」ルカ18:13-14
本日の箇所には、次のように記されています。
「徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。」
ここには、ある徴税人の祈りが記されています。この徴税人は、神殿で神様に祈りに来たにも関わらず、遠くに立って、目を天にあげようともしませんでした。そして、胸を打ちながら「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と祈っていたのです。この徴税人にどんなことがあったのかは具体的には分かりませんが、当時、徴税人と呼ばれる人たちが置かれた状況を考える時、この徴税人の心の中にあった様々な苦悩を想像することができるのではないかと思います。「徴税人」というのは、言うなれば、当時、世界を支配していたローマ帝国が「自分たちが支配した国を効率よく治めるために作りだしたシステム」の中で生み出された人たちでした。ローマ帝国が、自分たちが支配した国々から上手に税金を取り立てていきたい…。だけど、自分たちは手を汚したくないし、恨まれたくもない…。そんな中で、「この面倒な仕事を地元の奴らに任せてしまえ」ということで生み出されたのが、「徴税人」という仕事だったのです。この徴税人たちが、ローマの代わりに税金を取り立てていましたから、批判は彼らに集中していきました。ただ、彼ら徴税人たちも、嫌な役目を引き受けるだけでなく、そこで上手いことやろうと考えました。彼らはローマ帝国の特権を利用して不正を働き、人々から過剰に税金を取り立て、そのお金を懐に入れていたのです。本当なら、そんなこと許されるはずもないですし、ローマ帝国が、彼らを取り締まらなければならないはずでした。しかし、ローマ帝国にしてみれば、現在、上手に税金が取り立てることができているのに、変に波風なんて立てたくない…。そんな思惑の中で、民衆から訴えが出ても耳を貸そうとしなかったのです。そのように、徴税人にしても、ローマ帝国にしても、自分たちの立場だけを考えて好き勝手していたのです。本当にズルいことばかりです。当時の社会の、理不尽で、歪んだ状況が浮き彫りにされているのではないでしょうか。
そんなふうに、社会の最も荒んでいたところ、最も歪んだところ、病んでいるところ、その真っ只中で、嫌な役割を押し付けられ、そこでうまいことやろうとしていたりして生きていた人たちが、彼ら徴税人たちでした。この徴税人は、きっとこれまで色々なものを見てきたのではないでしょうか。社会の最も荒んだところ、歪んだところ、病んでしまっているようなところで、正直、見たくないものや、嫌なものもたくさん見せられてきたのだと思います。人間のあさましさだったり、いやらしさだったり、人の罪というものも、まざまざと見せられてきたのではないかと思います。そして、彼自身も、その中の一人でもありました。ですから、周りの人の有様を見て、傷ついたり、がっかりしたりする一方、よくよく考えてみれば、自分自身、他の人のことを責めることができないような振る舞いをしている…。そんな状況があったのではないかと思います。そんなふうに、この徴税人は、これまで色々なものを見、悩んだり、傷ついたり、苦しんだり、失望したりしてきたのではないかと思います。そんな思いの中で、神様の前に立っていたのだと思います。そして、何というのでしょう。私は、そんな徴税人の姿をみる時、それが他人事には思えないのです。
時々の私たちも、この徴税人と同じような思いを通ることがあるかも知れないと思います。私たちの周りにある色々なことの中で、悩んだり、傷ついたり、翻弄されてしまっていることがあります。そんな中、周りに失望することもあれば、自分自身のどうしようもなさを見せられ、自分にがっかりすることもあるかも知れないも思うのです。そんなことを思う時、本日のこの徴税人の祈りの姿が決して他人事ではないように思うのです。そして、そのように思う時、本日の御言葉が慰めをもって心に迫ってくるように思います。主は、この徴税人を見捨てることがありませんでした。そして、神殿で一人、遠くに立って祈っている、この徴税人に、まっすぐに目を注がれたのです。そして、この徴税人を受け入れ、義としてくださったというのです。ここに慰めのメッセージ、救いのメッセージがあるのではないでしょうか。私たちの招かれている福音の原点がここにあるのだと思います。
私たちの日々の歩みには色々なことがあります。そんな中、悩んだり、失望したり、落ち込んだり、うなだれたり、心をたくさん擦りむいてしまっている私たちがいるかも知れません。しかし、そんな私たちに主を目を注ぎ、私たちをまるごと受け止め、破ればかりの私たちをそれでも「よい」と言ってくださいます。この主を見上げ、歩んでいけたらと思うのです。   (鈴木牧人)

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