「あなたに救えるかどうか」
Ⅰコリント7:1-16
本日の箇所には、男女間の問題、結婚の問題についてのパウロのメッセージが記されています。そんな中、三つの御言葉に心が留まりました。まずは7:3です。「夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい」(7:3)。この言葉を読みながら、ハッとさせられました。私たちは、夫婦として、家族として、それぞれ果たしていかなければならない務めがあるのです。「そんなの当たり前だ」という人もいるかも知れません。しかし、時に、私たちは、この当たり前のことがぼやけてしまって、相手に求めてばかりいたり、自分の思いを押しつけてばかりいたりするようなことがないだろうかと思いました。
二つ目は7:5です。「互いに相手を拒んではいけません。ただ、納得しあったうえで、専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です。あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらないからです。」(7:5)ここには、「あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて」と記されています。私たちは夫婦として、家族として、相手と向き合う時、「こうしなければならない」ということが分かっているはずなのに、いざ相手と向き合うとそれができない…。あるいはそもそもそういう考え方自体、どこかに吹き飛んでしまう…。そんなふうに自分自身を抑制することができなくなってしまうことがあるのではないかと思います。普段、自分としては色々なことが分かっているつもりで、目の前の一つ一つのことに対して冷静で、寛容であるはずなのですが、いざ事柄が自分に迫ってくると、途端に冷静になれず、きちんと物事を判断できない…。それまでの思いがどこかに吹き飛んでしまう…。そういう自分がいるんじゃないかと思います。
パウロはここで、コリント教会の人たちに対して「自分を抑制する力」がないことを咎めていません。むしろ、そのことを認めなさいと語っているのです。問題なのは、私たちが自分の中に「自分を抑制する力」がないことを認めようとしなかったり、あるいはそのことの問題を余り意識しないことで、サタンが私たちを誘惑し、おかしな方向に向かわせてしまうことです。そうならないように、きちんと自分の弱さを認め、わきまえ、そのための対応をこうじることが大事なんだと語っているのです。
三つ目は7:16です。「妻よ、あなたは夫を救えるかどうか、どうして分かるのか。夫よ、あなたは妻を救えるかどうか、どうして分かるのか」(7:16)。私たちは夫婦の中で「自分には果たさなければならない務めがあるんだ」ということを意識すればするほど、余計なことまで背負っていたりしないでしょうか。私たちには果たすべき務めがあります。しかし、だからこそ、私たちには「しなければならないこと」、「しなくてもよいこと」、「してはいけないこと」をわきまえる必要があるのではないでしょうか。私たちには限界があります。その人自身の課題もありますし、その人を救うのは、神様なのです。そのことをわきまえるためにも、きちんと神様に向き合い、祈ることが必要なのだと思います。