本日のローズンゲンの御言葉です。
人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。申命記8:3
命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、
命である。ヨハネ6:63
ご存知の方も多いのではないかと思いますが、孔子にまつわる話に、このような話があります。
孔子の弟子の子貢が、孔子に対し、「政治において大事なものは何ですか」とたずねました。
すると、孔子は「三つのことが大事だ」と答えました。第一は「食を足し」食生活の充実をはかってやることだと言いました。次に「兵を足し」軍備をととのえることだと言いました。そして、「民これを信ず」民の信頼を得ることだと言ったのです。これを聞いた子貢は、さらに尋ねました。「それでは、その三つのうち、止む得ずして一つを除くとしたら、どれを除きますか」。
すると、孔子は即座に、「兵を去れ」軍備を捨てよ、と答えました。
これに対して、子貢は、さらに尋ねました。
「その二つとも保持し得ない事態が到来した場合、どちらを捨てますか」
すると、孔子は、「食を去らん。古よりみな死あり、民信なくんば立たず」と答えたのです。
どんなことがあっても信じるものを失ってはいけない、信じるものを失っては、人は立てないと答えたのでした。以前聞いた話ですが、色々なことを考えさせられる話でした。
今週の祈祷会で、御言葉の分かち合いの時に一人の姉妹がこんなことをおっしゃっていました。
「今の時代というのは、物質的には満たされ、豊かであるように見えますが、本当は深刻な飢餓状態なのかも知れません。」心に残る言葉でした。
今の時代が飢餓状態とするなら、何に対して飢餓状態なのでしょう。それは、先ほどの孔子の言葉で言うなら、「信じるもの」に対して飢餓状態になっているのではないかと思います。そんなことを思いながら、ふと先ほどの孔子の話を思い出しました。
本日の箇所には、次のように記されています。
「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」
この御言葉は、荒野のただ中で、モーセがイスラエルの人々に語った言葉です。
モーセは「荒野の旅の中で、あなたたちは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることを学んだんだ」と言いました。確かにそうでした。荒野には十分な食物はありませんでした。しかし、そのような中で、人々は「御言葉を信じること」を学んでいったのです。
そして、「この御言葉こそが自分たちを立たせるんだ」ということを学んでいったのでした。
そのような経験を通してイスラエルの人々は文字通り「主の口から出るすべての言葉によって生きること」を体現していったのだと思います。
本日の御言葉を読みながら、改めて先ほどの話が心に迫ってきます。
そして、今の時代こそ、私たちは「人は主の口から出るすべての言葉によって生きること」を学ぶ必要が
あるのではないかと思いました。
日々の歩みの中で「御言葉は本当だ。御言葉こそが私を立たせるんだ」という出会いをしていきたいと思うのです。(鈴木牧人)