「先生、そんなことをおっしゃれば」
ルカ11:45-52
本日の箇所には、一人の律法の専門家が登場します。この人はイエス様と食事をしていました。喜ばしい時だったのではないかと思います。しかし、食事をしている最中にイエス様は、ファリサイ派の人々に対して、厳しい言葉を投げかけるのです。彼らは見た目には立派な振る舞いをしているけれど、それはうわべだけで、中身は強欲と悪意に満ちている…。そのようにファリサイ派の人たちの問題や罪を厳しく言及したのでした。これに対して、ファリサイ派の一人でもあったのでしょう、この律法の専門家が思わずこう言うのです。
「先生、そんなことをおっしゃれば、わたしたちをも侮辱することになります」(11:45) 。
この律法の専門家は、イエス様の突然の言葉に戸惑ったのだろうと思います。私には律法の専門家の戸惑う姿が理解できますし、すぐに受け止められない姿に「そうだろうな」と思います。でもやはり、イエス様が言われる言葉にきちんと向き合わないといけなかったのだろうなとも思います。「心外だ。何でそんなこと言われなければならないんだ」ということで終わるのではなくて、立ち止まって耳を傾けなければならなかったのだと思うのです。
律法の専門家が「先生、そんなことをおっしゃれば、わたしたちをも侮辱することになります」という言葉に対して、イエス様はさらに律法の専門家たちの罪をも語りました。そして、あなたたちはアベルの時代から始まってからずっと同じように過ちを繰り返しているんだ…。しかし、その過ちは何一つとして、なかったことのようにはできない…。そして、今や見過ごしのできないようなところにまできていて、今の時代の者たちはその責任を問われているんだということをお話しになられました。本日の箇所を読みながら、色々なことを考えさせられました。この言葉は、今の時代、私たちにも問われているのではないでしょうか。たとえば沖縄の基地問題について考える時、そう思います。少し前のことになりますが、ある人からこんな質問をされました。「何で沖縄の人たちはあんなに基地を反対だと言っているんだ。理由がいまいち分からない。」それに対して、こんなふうに答えました。「沖縄の方々の考えはそれぞれだと思います。ただ、私が個人的に出会ってきた沖縄の人たちの声を聞きながら思うのは、『もう我慢の限界』という思いなんじゃないでしょうか。基地の問題を含め、内地の私たちがこれまで沖縄の人たちに対し、ずっと押し付けてきた諸々の事柄に対して、『もう我慢できない』という思いが県民投票などに表れているんだと思います。その声に対して、きちんと耳を傾けなければならないと思います。」本日のイエス様のメッセージを聞きながら、その時のことを思い出しました。そして、それというのは、きっと沖縄の基地問題だけではないのだと思います。たとえば福島の原発事故の問題などもそうなのではないでしょうか。ずっとそこに問題があったにも関わらず、私たちはその問題性や過ちに気づかないまま、見過ごしにしてきた…。しかし、そのことがいよいよ見過ごしにできない状況になってきてしまっている…。そんな中、私たちは、この時代、知らなければいけないこと、向き合わなければいけないことがあるのだと思うのです。