「救いに導く知恵」

Ⅱテモテ3:14-17

ずいぶん昔になりますが、妻からこんな話を聞きました。妻が中高生の頃、教会の集まりで、中高生向けの修養会があり、その中で「ラブレターの書き方」についての講習会があったそうです。ラブレターの書き方を旧約聖書の雅歌から学ぼうということで、雅歌の御言葉を読みあったと話していました。その話は、私にとって新鮮な驚きでした。そんな中、聖書って自分が思っているより、ずっと豊かで身近なものなんだなと思いました。

また、これはつい最近のことです。今年の三月ごろ、私の兄の長男が大学の法学部に進学しました。そこでこんな話をしました。

「法学部なら、これから法律の勉強をするね。聖書にも色々な法律の話があるんだよ。」

私がそう言うと、甥は興味をもった様子で聞いてくれていたので、さらに言いました。

「聖書に書いている法律を『律法』って呼ぶけれど、律法を学んでいくと、大事なテーマは公平さ、公正さなんだよね。しかも、その内容は、当時、社会的に立場が弱かった人たちのことを守るという視点で語られている。たとえば落穂があったら、それは、よそから来て生活の術がない寄留者のために残しておきなさいということだったりして、社会的に弱い立場にある人たちを守るという視点で語られているんだ。そんな中、全ての戒めの根っこにあることは、神様を愛すること、そして、隣りの人を愛することだと言われているんだよ。これから法律を学ぶ上で、ぜひそういうことを大切にしてほしいと思う。その法律が何のためなのか、誰のためなのかということを考えながら、法律についてくれたらいいな。」

そういう話をしたのですが、甥は私の話にますます興味をもった顔で聞いてきました。そこで、「聖書に興味とかある?」と聞きました。すると、「あります」と言うので、福岡に帰って、すぐに聖書を送ることにしました。

中高生がラブレターの書き方を聖書から学ぶということだったり、法学部の学生が、現代の法律のあり方を旧約聖書の律法の戒めから考えていこうとするということというのは、一つの例ですが、聖書って、そういうふうにも読むことができるものなのだと思います。そして、そんな聖書の読み方をしていく時、私たちは聖書の豊かさにもっと気づかされていくのではないでしょうか。聖書が私たちにとって身近なものになっていくのではないかと思います。聖書というのは、決して、大昔の、遠い外国で書かれた、小難しい本ではありません。日曜日に教会の礼拝の中でだけ開くものでもないのです。私たちの日々の生活に直結する様々な知恵を語ってくれているものです。一人だけで読んでも、難解で、分かりづらく思えることがあるかも知れませんが、聖書を丁寧に読みながら、そのメッセージを掘り下げていく時、本当に聖書の豊かさや、奥深さに気づかされていくのです。まさに本日の箇所にあるように、私たちを教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益なメッセージが、聖書にはあるのです。

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