本日のローズンゲンの御言葉です。

「わたしは閉じ込められて、出られません。苦悩に目は衰え/来る日も来る日も、主よ、あなたを呼び/あなたに向かって手を広げています。」詩篇88:9-10

「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」ヨハネ17:15

本日、教会学校主催の教会キャンプを行ないます。教会キャンプという名前ではありますが、バーベキューをするわけでもありませんし、研修会をするわけでもありません。とにかく集まって、みんなで話そう…。そのような思いで企画された集まりです。3月以降、コロナの自粛状態が続き、現在も通常の教会活動を行なうことができない状態です。そんな中、教会でも中々、ゆっくり話をすることができない状況が続いていますので、一度時間をとって皆で話をしようということになりました。いわゆる「無駄話」をみんなでできたらと思っています。私は現在、色々な会議を行なう時に、牧師室からリモートで会議を行なっています。リモート会議ですと、わざわざ出かける必要もなくて、それなりに便利だなと思っています。リモート会議が終わると、すぐに通常業務に戻ることができることも利点です。ですが、そんな会議を行ないながら、つくづく「無駄話って大事なんだね」というようなことを話しあっています。その会議のアジェンダとは直接関係ない話だったり、余計な話かも知れません。しかし、そのような話を通して、互いの心を通わせあうことができたり、その「無駄話」を通して、色々なことが立体的に分かってきたりすることができることがあるのだと思います。また「無駄話」を通して、心を少しばかりでも軽くすることができたりすることもあるんだと思います。ですが、リモート会議ですと、どうしてもそういう時間を持つことができません。パソコンのクリック一つで繋がり、クリック一つで話し合いを終えることができる…。まさに無駄を省いた交わりですが、それゆえに無駄があることの大事さを痛感させられるのです。時々に「無駄話って大事だよね」と話しあっています。本日の交わりも、そんなふうに自由な話をしながら、交わりを持つことができたらと思っています。そして、それというのは本当のところ、決して「無駄」な話ではないのだとも思います。今、この状況の中で、このような経験をさせられているからこそ、私たちが考えさせられていること、感じていることというのは、今だから語れる貴重な証言でもあるのだと思うのです。そんなことを思いながら、今回の交わりが豊かな時とされたらと思っています。本日の箇所には、次のように記されています。

「わたしは閉じ込められて、出られません。/苦悩に目は衰え/来る日も来る日も、主よ、あなたを呼び/あなたに向かって手を広げています。」

本日の箇所を読みながら「わたしは閉じ込められて、出られません」という言葉が心に迫ってきました。コロナの自粛生活をしている中で、この詩人のような思いをさせられたという方もおられるのではないでしょうか。このコロナの混乱状態が、いつ通常通りに戻るか分からないような現状の中、この詩人のような祈りの言葉を覚えることもあるのではないかと思います。本日の交わりではそのような思いをも分かち合い、共に祈りあうことができたらと思わされています。

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