「こう祈りなさい」

マタイ6:9-13

本日の箇所は、有名な「主の祈り」です。この「主の祈り」の言葉には、私たちが日常の歩みの中で、願っていることだったり、求めていることが凝縮させられているのではないでしょうか。たとえば、6:11では「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」という言葉があります。私たちが生きるためには「糧」が必要です。その一つは食糧なのだと思いますが、そのような「糧」というのは、何も見える形としての「パン」だったり、「肉」だったり、そういうことばかりではないかも知れません。心を養い、元気にする目には見えない「霊の糧」を必要としているということもあるのだと思うのです。私たちはそのように様々な形での「糧」を必要としているのではないかと思います。そんな中、私たちは様々な形での「糧」を得ながら、身体も心も養われ、育まれながら生きているのだと思うのです。そう言った意味で、「私たちに必要な糧」というのは、何より切実なことなのだと思うのです。

また、6:12では「わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように」ということが記されています。「赦す」ということ、「負い目」を抱えているということ、このことも私たちにとって切実な問題なのではないかと思います。普段はあまり、そういうことも考えなかったりするかも知れません。しかし、そんな私たちでも、時々に一人を経験したり、心が弱くさせられるような時に、言いようもない孤独や不安が襲ってきて、色々なことを考えてしまうということがあったりするのではないかと思います。そんな中、「赦せない」ということだったり、自分の中にある「負い目」に苦しんだり…。そういうことがあるのではないでしょうか。

そして、さらに6:13についても思います。ここには「わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください」と記されています。私たちはこの時代、本当に何が正しいことで、真実なことなのか、分からなくなってしまうようなことがあります。そんな中、私たちにとって、誘惑に陥り、間違った道を進んでしまわないようにということだったり、災いや悪い者から救われるようにということは、切実な思いなのだと思うのです。

そのように考える時、6:11-13で祈られている一つ一つの祈りの課題というのは、神様を信じている、信じていないに関わらず、どんな人でも心の中に抱えている課題なのではないかと思いました。そして、おそらく、多くの人がその課題を自分だけで抱え、何とか乗り越えようとしているのではないでしょうか。そんな中、イエス様は私たちにそのことを神様にそのまま打ち明けなさいとおっしゃられたのが、この「主の祈り」でした。私たちはこの「主の祈り」を通して祈ることを通して、私たちが心に抱えている思い煩いだったり、悩みごとだったり、傷んできた思いだったりを知っていてくださる方がいてくださるんだ…。その思いを受け止めてくださる方がいるんだということを知ることができるのです。そして、その神様に出会いながら、委ねながら、安心していく…。それが「主の祈り」に生かされていくということなのだと思うのです。

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