本日のローズンゲンの御言葉です。

「主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことがわたしたちにふりかかったのですか。」士6:13

「イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、『先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか』と言った。」マコ4:38

本日、午後二時から「東日本大震災を覚えての祈りとシンポジウム」が行なわれます。ZOOMのインラインで行なわれるこの集会に、私たちの教会では二階のホールで参加します。興味のある方は、二階に来られると参加できますので、ぜひともご参加ください。なお奉仕者会は、「祈りとシンポジウム」が終わり次第行なう予定です。どうぞ、よろしくお願いします。本日の箇所には次のように記されています。

「主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことがわたしたちにふりかかったのですか。」

 この言葉は、ギデオンが主の御使いに語った言葉です。ギデオンの時代、イスラエルの国は暗黒の時代でした。イスラエルの人々は、神様から離れ、結果として、神様の怒りを買い、主は彼らをミディアン人たちの手に渡されてしまったのです。ミディアン人は荒れ野の民で、らくだを乗りこなす民でした。聖書にはミディアン人がたくさんのらくだを率いて、イスラエルを攻めてきた様子が記されています。文献を調べると、らくだという動物は、ミディアン人たちの秘密兵器で、おそらく、らくだを軍事作戦行動において大規模に使用したのは、現存している資料では最初の記録であるということです。らくだの迅速さや遠距離に及ぶ攻撃力はイスラエル人に恐怖におとしめたのではないでしょうか。イスラエルはミディアン人たちの圧政に苦しめられました。そんな中、ギデオンが主の御使いに語ったのが、本日の御言葉です。

「主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことがわたしたちにふりかかったのですか。」

ギデオンはここでさもこのような事態に陥ってしまったのが、神のせいであるかのように語っています。これまでの自分たちの過ちを悔い改めるわけでもなく、「神様がせっかくエジプトから自分たちを導き出して登ったのに、自分の責任を放棄したかのように自分たちを見放したんだ。結果、自分たちはミディアン人の手に渡ってしまったんだ」と語るのです。おそらく、このような思いは、ギデオンだけでなく、当時のイスラエルの人々の思いだったのではないでしょうか。

そんなギデオンの姿を見て、私たちはどう思うでしょう。自分のことを棚にあげて、勝手なことばかり言って…。本来、そのような話であるかも知れません。しかし、そんな勝手な姿が自分たちの姿であるのかも知れないと思ったりします。色々なことがあると、そのことを自分勝手に判断し、都合よく解釈し、問題を他のせいにしてしまう…。そういうことがあるんじゃないかと思うのです。決して悪気があるわけではないのですが、自然にそうしてしまっていることがあるように思います。いずれにしても、ギデオンの訴えは本来的外れなものではありましたが、それでもギデオンとしては切実な思いからの訴えだったのだと思います。そんな中、覚えていたいのは、そんなギデオンのもとに主の御使いが来てくださったということです。そして、そのギデオンに対し、「勇者よ、主はあなたと共におられます」(6:12)と呼びかけてくださったのです。

私はこの箇所を読む時に、本当に励まされ、慰められる思いがします。私は自分自身のことを思う時、日々の歩みの中で、右往左往してしながら、すぐに目の前のことに一杯一杯になって、ものごとを自分に都合のよいような形でしか受け止められなくなってしまうことがあるなと思ってしまいます。そんな中、神様に対しても、自分勝手な訴えや祈りをしてしまっていることがあるのではないかと思うのです。ですが、そんな私たちをも主は見捨てずに、私たちと共にいて、私たちを丸ごと受け止めてくださりながら、私たちを励まし、力づけてくださっているんだなと思うのです。たとえば、あの震災の時のことを振り返っても、私自身、そんなことをたくさん経験してきたように思うのです。本日の「祈りとシンポジウム」に心を向けながら、本日の御言葉に心を静めながら、そんなことを考えさせられました。

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