本日のローズンゲンの御言葉です。
「主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人々を慰め」イザヤ61:1-2
「天使は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。』」ルカ1:30
本日の箇所には次のように記されています。
「天使は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。』」
この御言葉は、有名な受胎告知の一節です。救い主イエス・キリストの誕生の知らせを、天使ガブリエルにより、イエスの母となるマリアに告げ知らされた場面です。救い主の母となること…。それは本来、これ以上ないほどの喜びの知らせでした。しかし、マリアは最初、その知らせを素直に喜べなかったことが記されています。ガブリエルから「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」(ルカ1:28)と言われた時、「この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた」(1:29)というのです。マリアはこの時、おそらく10代前半であり、結婚もしていませんでした。そんなマリアにしてみれば、ガブリエルの突然の知らせはとても受け入れられなかったのだと思います。そんなマリアに語られた言葉が「マリア、恐れることはない」という言葉でした。マリアにとって、目の前の出来事はとても受け止めることができないことばかりだったと思います。マリアは天使の言葉を聞きながら、一生懸命「どうしよう」「どうすればいいだろう」そんなことばかり考えていたのではないでしょうか。しかし、神様は、そんなことをマリアに望んでいたのだろうかと思います。12歳ぐらいの女の子に対して、これから救い主の母となるという想像もできないような大きな問題を、全部負わせて、「あなたは、この問題をきちっと理解して受け止めなさい。救い主の母としての務めを立派に果たしなさい」とおっしゃろうとしていたわけではないんだと思います。御使いが何よりマリアに伝えようとしていたのは、1:28の「主があなたと共におられます」というメッセージでした。神は何よりこのメッセージを受け取ることを望んでいたのだと思います。「あなたのこれからの歩みには、私が一緒にいるんだよ」ということをマリアが信じることを求めておられたのです。そして、目の前の問題に対しても、「私が一緒にいるから大丈夫。私は片時も離れないで守り、導いてあげるから大丈夫。あなたが分からないことや、手に負えないこともその都度きちんと整えていってあげるから、だから、恐れたり、心配しなくていいんだよ。あなたは安心して私にこの問題を委ねなさい」ということを呼びかけておられたのだと思うのです。
私たちは、このことを心に覚えていたいと思います。私たちの目の前にも色々なことがあります。時に、神様から様々なチャレンジを受けることもあります。私たちは、そのチャレンジをしばしば自分だけで抱え込んでしまおうとしていることがないでしょうか。しかし、本日の箇所を読みながら思います。神様が望んでおられるのは、マリアに対してそうであったように、私たち一人一人が問題やチャレンジのただ中で、主が共にいてくださることを覚えていくことなのだと思います。目の前の問題に対して、「私が一緒にいるから大丈夫。私は片時も離れないで守り、導いてあげるから大丈夫。あなたが分からないことや、手に負えないこともその都度きちんと整えていってあげるから、だから、あなたは安心して私にこの問題を委ねなさい」ということを呼びかけておられるのだと思うのです。その主を見上げて歩んでいきたいと思います。