「エフラタのベツレヘムよ、お前の中から」

ミカ書5章1-5節

 ミカは、イエス様が生まれる700年ほど前、紀元前8世紀半ばから7世紀前半に活動した人でした。この時代というのは激動の時代でした。アッシリアという強大な国が、パレスチナを席巻していて、南ユダの国はアッシリアに対し、どういう関わりを持つべきか、難しい選択を迫られていました。歴代の王様によっても対応は様々で、王様によっては、アッシリアになびいて傘下に入ろうとしたり、アッシリアに対して毅然とした態度を取ろうとしたりしていたのです。ミカの出身はモレシェトでした。モレシェトはエルサレムから見て、南西に位置します。農耕が盛んな地だそうです。本来であるなら、のどかな場所だったのではないでしょうか。しかしミカの時代、この場所は時代の渦に巻き込まれてしまっていました。この場所の近くには、ペリシテ人の地であるガトという町があったり、エジプトにも近かったので、反アッシリアの勢力が強いのが、このモレシェトでした。このため、この時期、モレシェトは政治的に非常に緊迫した状況がありました。本来、農耕などが盛んな、のどかな場所であるはずなのに、国同士のいさかいに巻き込まれ、翻弄されてしまっている…。そんな様子を思う時、ふと沖縄のことなんかを思ったりします。

 ミカ書を読むと、この時代の叫びとも言わんばかりのミカのメッセージが心に迫ってきます。この時代、人々は大国アッシリアの脅威が迫る中で混乱していました。そんな中、「正義」などというものも脇に追いやられてしまった状況がありました。そんな中、国の資産家たちだったり、宗教指導者たちは、自分たちのことしか考えず、弱い者、貧しい者からあらゆるものを取り上げ、搾取していました。本来であるなら、そのような状況に対して、それは間違っている、いけないと言わなければいけないのが、預言者たちの務めのはずでした。しかし、多くの預言者たちは、このような状況の中にあって、自分たちの務めを果たそうとしていませんでした。むしろ、時の権力者や指導者たちに媚びるかのように、その人たちの都合のよいことばかりを語っていたのです。そのように、ミカ書1-3章には、この時代に対する叫びのようなミカの罪に対する訴えの言葉が記されています。

しかし、それに続くミカ書4章には、それまでの様子とは大きく変わります。やがて来たるべき「終わりの日」の様子が語られているのです。ここで語られている世界の様子というのは、まさにそれまでミカが語って来た世界とはまるで違っていました。不安や恐れ、混乱の中で、人々の間に「正義が見失われてしまっている世界」から、「人々が主の教え、御言葉に聞き、その道を歩もうとしていくような世界」へ(4:2)、「平和な日常が脅かされ、人々が剣や槍を持とうとしている世界」から、剣や槍ではなく、「鋤や鎌を手にしながら、本来の日常の営みを取り戻していく世界」へ(4:3)、人々が自分たちだけのことを考え、「奪いあいや搾取が耐えない世界」から「各々が満たされ、脅かすものが何もない世界」へ(4:4)、「弱い人たちが脇に追いやられる世界」から、「弱い人たちが尊ばれ、憐れまれる世界」へ(4:6-7)、そして、「一人一人が自分自身の主権を取り戻していく世界」(4:8)へ変えられていく様子が語られているのです。

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