「シケムでの出来事から」

創世記34章1-7節

本日の箇所には、ヤコブたち一家がシケムに住んでいた時に起こった事件が記されています。ヤコブの娘であるディナが土地の娘たちに会いに出かけた時、大変な事件が起こってしまいました。シケムの町の有力者だったヒビ人ハモルの息子シケムが、ディナに乱暴を働いたのです。事件の後、シケムがディナと結婚したいと申し出、それで問題は落ち着いたかと思いました。しかし、ヤコブの息子のシメオンとレビはそれで納得できず、シケムの町の人たちに報復行為を行ないます。結果、ヤコブたち一家と、カナンに住む人々との関係は、修復不可能な状況になってしまうのです。

本日の箇所の登場人物のそれぞれの歩みを見ていく時、色々なことを考えさせられます。本日の箇所でヤコブは事の一部始終を聞いた時、しばらくこのことを黙っていたと書かれています。ヤコブがなぜ黙っていたのかは分かりません。しかし、そんなふうに黙っていたことから始まり、この件に対するヤコブの態度というのは、消極的と言いますか、ディナから見たら、少し冷たく思えたんじゃないかと思ってしまいます。ディナの気持ちを汲み取って行動するよりも、どこか「ことを荒立てないように」という意図を感じてしまうのです。

そういうヤコブのどこか冷たく、煮え切らない振る舞いや態度に、ヤコブの息子たちとしては納得いかなかったんじゃないかと思います。シメオンにしても、レビにしても、このまま黙って泣き寝入りするようなことは納得できませんでした。シメオンやレビは父親を全く無視して行動を起こします。彼らは彼らなりの思い、正義感から、そんなふうに行動したのだと思います。しかし、実際に彼らがしていることというのは、正直、正しい行動とは言えませんでした。正直、神様を信じている人とは思えないような行動です。シメオンとレビは、本当に卑怯な方法で、シケムの人たちをだまし、復讐を行ないます。しかもその時に利用したのが「割礼」でした。「割礼」とはヤコブたちにとって、神の民としてのしるしでした。彼らにとって少なからず大切な信仰の業だったはずです。シメオンとレビは、こともあろうに、その「割礼」でもって、シケムの人たちをだまし、彼らを惨殺してしまうのです。シメオンとレビの気持ちは分からなくもないですが、やはり彼らのしたことは賛同できません。

もう一人、本日の箇所を読みながら考えさせられるのが、ハモルの息子シケムです。彼が本日の箇所で問題を起こした張本人でした。しかし、彼は自分がしたことが分かっていたのでしょうか。彼の振る舞いを見る時、自分がディナに対して酷いことをしたと認識してはいなかったんじゃないかと思います。

本日の箇所で一番の被害者はディナのはずでした。しかし、本日の箇所でディナは結局一言もしゃべっていません。ディナの思いはどこか取り残されてしまっているのです。そんな状況を思います時に、身につまされる思いにさせられます。創世記34章で展開される様々な人間模様に、私たちの現実がそのまま重なってきます。その中で繰り広げられる人間模様を思う時、今も変わらない私たちの営みが重なってくるのです。

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