本日のローズンゲンの御言葉です。
「白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。わたしは主である。」レビ19:32
「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」ローマ12:10
昨日から福岡に向かって帰省しています。福岡までは15時間かかるので、帰省途中で一泊し、今日福岡に着く予定です。昨日の帰りの車中、タブレットにダウンロードした映画などを見たりしているのですが、その中でこんな話を聞きました。「笑い」の語源についてです。「笑い」の語源には、色々な説があるそうですが、一つの語源に「笑い(わらい)」は、「割る(わる)」から来ているのではないかという説があるそうです。それまで、固いもので覆われていたものがパッカーンと割れていく状態から、「笑い」という言葉は生まれたというのです。確かに「笑う」ということは、硬い心の状態では生まれないと思います。そういう硬さが崩れて、心が割れたり、ほぐれたりする時、自然と笑みが生まれるということがあるのではないでしょうか。お話を聞きながら、改めて「笑い」って素敵な言葉だなと思いました。気づかずに心頑なになって、色々なことに気張ってしまうことがあります。そんな中、どんどん見えない殻に閉じこもって悶々としてしまったりすることがあります。そんな私たちの心を割って、ほぐしてくれるのが、「笑い」なのだと改めて考えさせられました。
本日の御言葉には、次のように記されています。
「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」
本日の御言葉を読みながら、「互いに相手を優れた者と思いなさい」という言葉が心に迫ってきました。この言葉を読む時、いつも思い出す言葉があります。それは「愛とは相手を自分よりも優れたものととらえることができる能力」という言葉です。私たちは自分たちだけの思いだけでは、相手を受け入れたり、相手を敬ったりすることはできないかも知れません。そんな中、イエス様から愛をいただき、その愛でもって、相手と向き合おうとしていく時、相手を受け入れたり、相手を敬ったりすることができるんだというのです。その言葉を思い出しながら、「愛」というものも、私たちの心を割ってくれるものなのかも知れないなと思いました。愛を通して、私たちの心が割られ、ほぐされ、相手を心に迎え入れたりすることができるんじゃないかと思いました。コロナの色々なことで、どうしても、気持ち的にピリピリしたり、心が内側のほうに閉じこもってしまいそうになることがあります。そんな中、改めて「笑い」や、「愛」でもって、心ほぐされながら、歩むことができたらと思いました。