「忘れられた約束」
創世記40章20-23節
創世記40章には、ヨセフがファラオの給仕役と料理役の夢を解き明かした様子が記されています。ヨセフが語った解き明かしは、その通りになり、給仕役は無事、牢獄から元の職務に復帰することができました。この時、ヨセフは、給仕役に対して、「ついては、あなたがそのように幸せになられたときには、どうかわたしのことを思い出してください。わたしのためにファラオにわたしの身の上を話し、この家から出られるように取り計らってください。」(40:14)と約束しました。しかし、給仕役は牢獄から出るとヨセフのことを忘れてしまうのです。そんな給仕役の様子に「ひどいな」と思います。しかし、給仕役は悪気があって、そうしたわけではないのだと思います。給仕役にとっては、ヨセフが夢を解き明かしてくれて、ありがとうという思いだったと思いますし、約束も果たそうと思っていたのではないでしょうか。ですが、正直なところを言えば、この時の給仕役にとって、ヨセフとの約束はそれほど重要ではなかったのだと思います。この時、給仕役は牢獄が出られて時、ただただ「やったー、良かった」という思いだったのだと思います。その嬉しさの中で、ヨセフとの約束もどこかに行ってしまったんじゃないかと思います。王宮での仕事が始まれば、牢獄のことを思い出すこともなかったんじゃないかと思いますし、そもそも給仕役にしてみれば、自分が捕まっていた時のことなど、思い出したくもないものであったかも知れません。いずれにしても、給仕役としては、悪気があったわけではなかったのだと思います。でも、すっかり忘れてしまったのではないかと思うのです。しかしながら、忘れられた側のヨセフとしてみれば、溜まったものではありませんでした。給仕役が忘れてしまったことによって、ヨセフは二年もの間、牢獄で過ごさなければならなかったのです。ヨセフにしてみれば、これまでにも、散々周りの人に裏切られたり、酷い目に遭わされたりしてきて、「またか」と思うような出来事だったのではないでしょうか。
本日の箇所を読みながら、改めて、約束を守ることの大切さを思います。今の時代、聞いた話だったり、約束されたことをむやみに鵜呑みにはできないことがあったりするのではないでしょうか。どこかで「世の中、そんなものだよ」と考えてしまう私たちがいるかも知れません。しかし、本当にそんな世界になってしまったらどうなるでしょうか。本当に怖く、悲しい世界が築かれてしまうのではないかと思いますし、そこから立ち直り、回復するのは大変だと思います。そんなことを思いながら、改めて、「信じること」「信頼に応えること」「約束を守ること」の大切さを思うのです。しかし、さらに思うのは、私たちにはできることに限界があり、私たちにとって何より信頼すべき方、約束を果たしてくださる、約束されたことを必ず守ってくださるのは神様だということです。本日の箇所でもそうでした。給仕役は、ヨセフのことをすっかり忘れてしまいましたが、神様は忘れていませんでした。その神様の取り扱いにより、ヨセフはこの牢獄から出て行くことができたのです。何よりこの神様を見上げていきたいと思います。