本日のローズンゲンの御言葉です。

「千年といえども御目には/昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。」詩編90:4

「その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。」ルカ1:50

本日の箇所には、次のように記されています。

「千年といえども御目には/昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。」

ここには、神様の眼差しから見れば、たとえ千年のような長い年月さえも、昨日から今日へのひと時と同じなんだということが記されています。この御言葉は、私たちにどんなふうに迫ってくるでしょうか。千年なんか生きられない私たちと、神様との違いを痛感し、神様の偉大さを改めて痛感するでしょうか。あるいは、神様というお方が、私たちの尺度とは全く違う物差しで事柄を見ておられる…。そのような神様の眼差しの大きさを思うでしょうか。色々な受け止め方で私たちに迫ってくるのではないかと思います。本日、私がこの御言葉を読みながら、心に迫って来たのは、神様の忍耐についてでした。私たちでは夜のひと時しか待てないようなことさえも、神様は千年だろうと忍耐し、待っていてくださる…。そのようなメッセージとして心に迫ってきました。

昨日、九州バプテスト神学校の講師懇談会がありました。神学校で教えておられる先生方が集まり、これからの講義のことを話し合う時なのですが、その中でJ校長がこのようなことをおっしゃっていました。

「とにかく、学生たちを長い目で見て、関わってほしい。たとえ今課題があったとしても、長い学生生活で変えられていくと信じて関わっていただけたらと思う。」

お話を聞きながら、J先生はきっと学生たち一人一人とそんな思いで関わってこられたんだなと思いました。そして、そのことが本日の御言葉と重なってくるように思いました。つい何でもすぐに答えを出そうとしてしまう私たちがいます。そんな中、私たちに対して、主は忍耐し続けながら、関わってくださっていることを覚えつつ、私たちも「長い目」で見ることの大切さを思いました。

鈴木牧人

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Translate »