「ヨセフは彼らから遠ざかって」

創世記42章18-28節

本日の箇所には、ヨセフとヨセフの兄とのやり取りが記されています。この箇所を読む時、ヨセフが兄たちとの関わりにおいて、距離感や関わり方を相当意識している様子が伝わってきます。ヨセフは何十年ぶりに兄たちと再会をしました。カナンからやって来た兄たちを見て、すぐに「兄たちだ」と分かりました。しかし、ヨセフは兄たちに自分がヨセフであることを伝えようとしませんでした。そして、兄たちにあえて厳しい態度を取るのです。何で、こんな厳しい態度を取るんだろうと思ってしまうかも知れませんが、ヨセフとしては、兄たちときちんとした関係を築こうと願っているからこその関わり方だったのだろうと思うのです。

ヨセフは本日の箇所で兄たちに対し、「お前たちが本当に正直な人間だというのなら」(42:19)と語りました。この言葉は、ヨセフの兄たちがヨセフに対して語った「わたしどもは~正直な人間でございます」(42:11)との言葉を受けてのものだと思います。ヨセフの兄たちは、ヨセフから一方的にスパイの疑いをかけられました。兄たちとすれば、身の覚えのない疑いに「自分たちが決してスパイではありません」という思いから「私たちは正直な人間です」と訴えていたのだと思います。しかし、どうでしょう。ヨセフとしても、兄たちがスパイではないことは分かっていたのだと思います。しかし、一方で、兄たちが「正直な人間」かと言われれば、「本当なの?」という思いがあったのではないでしょうか。兄たちは、かつてヨセフに対し、本当に酷いことをしてきました。しかも、そのことを隠したまま、この時まで過ごしてきたのです。そんな兄たちの姿を思う時、「私たちは正直な人間です」と訴えている姿に「本当なの?」という思いがしていたのだと思うのです。

ヨセフは、42:10-11の中で兄たちに対し、一つの提案をします。その提案は、兄弟たちのうち一人だけをこのまま監禁し、ほかの兄弟を家に帰してあげようというものでした。「もしお前たちが主張しているもう一人の末の弟をこの場所に連れてきたなら、お前たちが回し者ではなく、正直者だと信じてやる」と語ったのです。このヨセフの発言を読む時、思うことがあります。それは三日前と言っていることが違うじゃないかということです。三日前、42:16では、ヨセフは兄たちに対して、兄弟たちを全員監禁し、一人だけを解放することを提案しています。しかし、それが40:10-11では一人だけを監禁し、他の兄弟は解放するというふうになっているのです。何でそんなふうに変わったのかは分かりません。ただ私はこの変化に、ヨセフの苦悩が表れているんじゃないかと思うのです。兄たちとの関わり方について、「ああいうふうにしたほうがいいんじゃないか」とか、「いやいや、それよりこうしたほうがいいんじゃないか」とは、あれこれ考えながら、試行錯誤している…。そういう姿がこういう部分に表れているのではないかと思うのです。そんなふうに、悩みながら、苦悩しながら、ヨセフは兄たちへの関わり方、距離感を考えていたのだと思います。

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