本日のローズンゲンの御言葉です。

「ひととき、お怒りになっても/命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。」詩編30:6

「それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。」ローマ5:11

本日の箇所には、次のように記されています。

「ひととき、お怒りになっても/命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。」

本日の御言葉を読みながら、改めて思わされたことがあります。それは「今がすべてではない」ということです。本日の箇所には、たとえ、神様がひととき、お怒りになることがあったとしても、それがすべてではなく、神様はやがて、私たちに命を得させることを御旨としながら、私たちに関わってくださっているんだということが記されています。また、たとえ、今、泣きながら夜を過ごしていたとしても、神様はそんな人に対して、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださるんだということが記されています。そのように、本日の箇所には、私たちが今、通らされることがすべてではないということが記されているのだと思います。本日の御言葉を読みながら、思い出したことがあります。それは「私たち信仰者の暗さは、『トンネルの暗さ』だ」という言葉です。

「今がたとえトンネルの中にいるように真っ暗だったとしても、それは『トンネルの暗さ』で、それが全てではない。主が私たちの歩みを取り扱い、たとえ今が暗かったとしても、その先に光に包まれた世界に導いてくださる。私たち信仰者は、主を見上げる信仰をもって、そのことを信じ、待ち望むことができるんだ。」

ある牧師がそのように教えてくれました。

今朝も雨が降っています。しかし、この雨もやがて止むように、今が全てではありません。そして、同時に、今、この時も私たちと共に歩んでくださっている主がおられます。そのことを覚えながら、励まされ、歩んでいきたいと思います。

鈴木牧人

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