本日のローズンゲンの御言葉です。

「あなたの僕に御顔の光を注ぎ/慈しみ深く、わたしをお救いください。」詩31:17

「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」エフェ5:8

 昨日、教会学校の分かち合いの中で、こんな話を聞きました。Yさんがお子さんのKくんのことを話してくださったのですが、Kくんと一緒に夜眠る前にお祈りするのだそうです。すると、Kくんがお祈りの中で、いつも「怖い気持ちがなくなりますように」と祈っているとのことでした。その祈りを聞きながら、Yさんは「Kは、そんなふうに怖がりなんだな、私に似ているのかな」と思うことがあるというような話をしていました。教会学校では、Kくんらしい、かわいいお話だなと思って、みんなで聞いていたのですが、改めて、その話を聞きながら、色々なことを考えさせられました。私たちもそんなふうに怖がってしまうことがあるよねってことでした。些細なことが気になって、不安になったり、あれこれと考えてしまったり、そんな中、恐い気持ちになってしまうことがあるのではないかと思うのです。そんな中、どうしたらいいんだろうということを思いながら、何より考えさせられたのは、私たちがその都度、「一人じゃないから大丈夫」ということを心に刻むことなんじゃないかと思いました。子どもだろうが、大人だろうが、怖くて仕方ない時があります。それは、防衛本能でもありますし、身を守るための大切な知恵でもあるのだと思います。ですから、時にちゃんと怖がることは大事なことなんじゃないかと思います。そして、そういう時に、自分の思いに無理やり蓋をするように、自分一人で強くなろうとする必要もないんじゃないかとも思ったりします。それより、恐い思いを抱えたままの状況で、だけど、大丈夫、一人じゃないからということを忘れないことが大事なんじゃないかと思いました。何より、イエス様が共にいてくださっていること…。そして、イエス様にあって結ばれた様々な交わりが与えられていること…。そのことを通して、私たちが一人じゃないということを心に刻む…。そういうことが、私たちにとって、一番大切なことなんじゃないかと思います。実際、そうなのだと思います。子どもの時、一人だと怖くてトイレに行けない…。けれど、一緒なら、トイレにも行ける…。それが、恐さに向き合う、私たちの原点だと思います。やがて大きくなり、一人でトイレに行くことが怖いということからは解放されたりするかも知れません。そういう経験が大事なのだと思います。不安や怖いことがあっても、それを克服できるんだということが自信にもなっていくんだと思うのです。いずれにしても、恐くなくなり、一人でトイレに行くことができるようになった時が成長ではなく、恐くてたまらない時、それでも誰かと一緒にトイレに行くことができた時から、成長は始まっていくのだと思います。そんなふうに、あれこれ怖さを抱えている私たちにとって、「一人じゃない」「一緒にいる」ということを大切にしていくことが一番大事なんじゃないかと思いました。

本日の箇所には、次のように記されています。

「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」

この御言葉を読みながら、「今は主に結ばれて、光となっています」という言葉が心に留まりました。そして、改めて昨日の「怖い気持ち」のことを思いました。私たちは自分一人では、暗闇に心が向かってしまうことがあるかも知れません。不安や恐れ、恐い気持ちにも引きずられてしまうかも知れません。しかし、そんな私たちが、イエス・キリストに結ばれ、一人ではないことに生かされていく時、光とさせられていくことができるのだと思います。                                  

鈴木牧人

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