「よろこびをもって帰ろう」
ルカによる福音書2章1-20節
本日の箇所に記されているマリアだったり、ヨセフだったり、羊飼いたちのことについて、彼らが置かれていた実際の状況を想像してみる時、私たちの現実と重なってくるところが多々あるのではないかと思います。順風満帆な歩みをしている私たちというよりも、日々の歩みの中で、落ち込んでいたり、悩んだり、嘆いたりしながら、目の前の現実と必死になって格闘している時の私たちに重なってくるように思うのです。そして、そんな彼らに神様はクリスマスの出来事を起こしてくださったんだな…。救い主はお生まれになったんだなということを思う時、ここに「福音」があるんだなと思うのです。
私たちにとって「クリスマス」とは何でしょう。色々なことが言えるかも知れませんが、最も大切なことの一つは、「神さまがいるから大丈夫」ということを心に刻む時だと思います。クリスマスは、「インマヌエルの神」であるイエス様がお生まれになった時です。インマヌエルとは、ヘブライ語で「神我らと共にいます」という意味です。「神様が私たちと共にいてくださるんだよ」ということを現わしてくださった出来事がクリスマスでした。その神さまがおられるから大丈夫…。クリスマスはそのようなことを心に刻む時なのです。
以前、ある方が「クリスマスの時期になると、不思議と色々なことが起こります。大変なこともあったりします。でも、そんな大変な時、不思議な平安が与えられます。これはクリスチャンでないと分からない気持ちなのかも知れません。問題は変わらずにあるのですが、平安があるんです。そして、実際、色々なことがあっても守られる…。改めて、神様、おられるんだということを心に刻むのです」とおっしゃっていました。本日の箇所で、マリアにしても、ヨセフにしても、羊飼いたちにしても、大変だったと思います。しかし、そんな彼らに神様が語られ続けた言葉がありました。「恐れるな」という言葉でした。「恐れるな」、「恐れなくていいんだ」「大丈夫だ」と神様は語られ続けたのです。それはこのような状況も神さまがおられる…。神さまが取扱っておられる…。だから、大丈夫…。それがクリスマスの根底を貫いて語られている大切なメッセージでした。そのクリスマスの平安、喜びに生かされていくことが、クリスマスを噛みしめることの大切なことの一つなのだと思います。
私たちは今この時も、色々な現実のただ中に生きています。時に、マリアやヨセフのように、目の前に思いもよらないことが次々起こって、上手くいかず、周りに翻弄されてしまっているようなこともあるかも知れません。あるいは羊飼いたちのように先の見えない現実に不安を抱えながら、それでも必死になって目の前の現実と格闘しているようなことがあるかも知れません。そんな中、心騒いだり、悩んだり、落ち込んでいたり、色々な思いを通らされている私たちがいるかも知れません。しかし、そんな私たちのところに、イエス・キリストは来てくださいました。目の前の現実に一人もがいてアクセクしている私たちのために、にっちもさっちもいかなくなっている私たちのために来てくださり、救いの光、希望の光となってくださった…。それがクリスマスなのです。