本日のローズンゲンの御言葉です。

「神よ、わたしの若いときから/あなた御自身が常に教えてくださるので/今に至るまでわたしは/驚くべき御業を語り伝えて来ました。」詩編71:17

「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」ルカ2:29-32

今朝、神戸教会のO姉が天に召されたとの知らせを聞きました。O姉は長年、姪浜教会の教会員で、女性会の会長としての働きなど多くの働きを担ってくださっていました。数年前、息子さんがおられる神戸に移り住んでいかれましたが、O夫妻ともに姪浜教会を心から愛してくださっていました。O姉を「教会のお母さん」のように慕っておられた方も多かったのではないかと思います。O姉が天に召され、本当に寂しい思いでいっぱいになりつつ、これまでの出会い、交わりに心から感謝の思いでいっぱいになりました。本日の箇所には、次のように記されています。

「神よ、わたしの若いときから/あなた御自身が常に教えてくださるので/今に至るまでわたしは/驚くべき御業を語り伝えて来ました。」

本日の御言葉を読みながら、O姉のことを思いました。O姉の転入会の証しが姪浜教会にあります。

「姪浜教会の皆様。今回、私たちは福岡へ戻って来れた事を大変、喜んでいます。また、牧師夫妻始め、皆様方が温かく迎えて下さって、本当に感謝します。私は50数年前、久留米で育ちました。何もない街の中央に大きなカトリック教会があり、又、私の家の近くに、孤児院と養老院があり、修道女の方が夏は白、冬は黒の美しいドレスで行き交う姿を見て育ち、崇高なもの、感じて居りました。それで小学校の時、教会学校へ通った事があります。高校の時、クリスチャンの同級生の勧めで、久留米伝道所へ行き始め、その頃映画や本等で神を信じる人に出逢い、聖書の言葉の美しい響きと讃美歌の美しさに触れてゆきました。木村文太郎先生よりバプテスマを受け、その後東京第一バプテスト教会、春日原教会、品川教会、佐世保教会等で、礼拝をさせて頂き、神を信じる兄弟姉妹の方々と温かい交わりに加えて頂きました。子供も二人授かり、今、それぞれ、自分の力を精一杯努力しているところです。恵みも試練も山のように経て、今日、新たに博多弁の陽気な響きと、活力みなぎる、この地で余生を過ごさんとして居ります。昔から私は、ひどい方向音痴で、東西南北が解らず、時に夜遅くなると全く自分の位置が解らないで車を運転しています。そのせいか、この年になっても、時々人生に迷い、立ち止まり、絶望し、違う方向へ歩みそうになります。詩編77篇のような時を、長く過ごしましたが、今日、転会するにあたり、神に祈りました。今は詩編32篇のような気持ちです。主人と共に神に信頼して、歩んで参りたいと願っています。」

転入会の証しを読みながら、「恵みも試練も山のように経て」という言葉が心に留まります。証しに書かれていますように、O姉はその生涯の中で、恵みや試練に遭いながら、その都度、人生に迷ったり、立ち止まったり、絶望し、違う方向に歩みそうになったりされてこられたのではないでしょうか。その都度、詩編の御言葉を始め、聖書の御言葉に出会いながら、その御言葉に共感したり、励まされたり、支えられたり、立ち帰らされてこられたのではないかと思います。そんなふうにして、主と共に歩んでこられたO姉の姿は、私たちにたくさんのことを教えてくれたのだと思います。O姉に心から感謝いたします。また、御連れ合いのO兄のため、神戸の教会のため、祈りたいと思います。   

       鈴木牧人

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