本日のローズンゲンの御言葉です。

恐れるな、おびえるな。既にわたしはあなたに聞かせ/告げてきたではないか。あなたたちはわたしの証人ではないか。わたしをおいて神があろうか、岩があろうか。わたしはそれを知らない。イザヤ44:8

ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。Ⅱコリント5:20

本日の箇所には、次のように記されています。

「ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。」

この御言葉を読みながら、「神と和解させていただきなさい」との御言葉が心に留まりました。「神様と和解する」ということを考える時、いつも『フォレスト・ガンプ』を思い出します。ガンプという知的障害の主人公の半生を描いた映画です。その映画の中にこんなエピソードがあります。主人公のガンプは大学卒業後、志願兵として、ベトナム戦争に参加しました。そこで、ババという友達ができます。二人は戦争に参加しながら、次第に泥沼の戦争に幻滅していきます。その中で、二人は将来の夢について語りあうようになります。ババの夢は、戦争から帰ったら、故郷でエビ漁を行なうことでした。しかし、ババは惜しくも戦争で亡くなってしまいます。すると、ガンプはババの意思を継いで、ババの故郷でエビ漁を行うことにするのです。そして、ババの代わりに戦地でガンプの上官だったダンという男と共に漁に出かけるのです。このダンという男は、戦争で負傷し、半身不随になっていました。負傷した時、彼の命を助けたのが、ガンプでした。しかし、ダンは、ガンプに「なぜ自分を助けたのか」と文句ばかり言っていました。ダンの家は代々、軍人で、彼の願いは、戦地で勇敢に戦って名誉の戦死を遂げることだったからです。彼は半身不随の身体から、すっかり自分の人生に失望していました。そして、帰国して様々な人に聞かれる「あなたは戦争で死ぬ体験をしてキリストに出会ったか」という言葉に無性に腹が立っていました。そんな中、自分の中のやりきれない思いを神様にぶつけるようになっていたのです。そんなダンが、ガンプと一緒にエビ漁に出かけていきます。しかし、中々、成果はあがりません。そんな中、ある時、二人を激しい嵐が襲います。ガンプは嵐に助かろうと必死なのですが、ダンはその嵐のなかで、船のマストの上で神に向かって叫ぶのです。「神よ、俺はそんなもの恐くない。俺は逃げも隠れもしないぞ。さあ、俺を倒してみろ。」二人は九死に一生を得て、その嵐の夜を越えることができました。しかも、なぜか、その夜の漁は未だかつてない大漁の成果を得ていました。そして、後に知らされたことは、その夜、彼らを襲った嵐は、彼らの船以外の全てが、沈んでしまったということでした。その時、ダンは、自分が嵐の中で神に向かって反抗して叫んでいた時、実は自分がひたすら神に守られていたということに気づかされるのです。映画のナレーションは、ダンはこの経験を通して、「神様と仲直りすることが出来たみたいだ」というふうに語るのです。

私たちは、このダンと同じように、私たちの中にある様々なやりきれない思いを、神様にぶつけるようにして、神様に抗ったり、壁を作ってしまったりすることがあるかも知れません。そんなふうに必死になって神様に反抗している私たちが、実は神様に許され、守られ、支えられていることを知らされていく時、私たちの心は解されていくということがあるのだと思います。聖書に記されている神様は、イエス・キリストを通して、私たち一人一人をそのような神様との仲直りに導こうとしておられるのです。

   鈴木牧人

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