「もはや平静を装うことはできない」
創世記45章1-3節
ヨセフはかつて兄たちに酷いことをされ、エジプトに奴隷として売られてしまいました。しかし、色々なことを経験した今、ヨセフは兄たちのことを恨む気持ちはありませんでした。ですが、その一方で、兄たちのことを手放しで受け入れられるかと言えば、そうはいきませんでした。未だ、信用することはできませんでしたし、兄たちに対して、どうしても一定の距離を取らずにはいられませんでした。結果、ヨセフは兄たちに対し、自分がヨセフであることを明かすことさえせず、厳しい態度を撮り続けてきたのです。そんなふうに関わってきたヨセフが兄たちにしたことが「銀の杯」の出来事でした。ヨセフは、僕に対し、末の弟のベニヤミンの袋に、自分の大切な銀の杯を入れさせるよう命じたのです。そして、後からベニヤミンの袋を調べ、「お前は銀の杯を盗んだ」と訴えることにしたのです。このようなことをしたヨセフには、それなりの考えがあったのだと思います。何よりも、このことに対して、兄たちがどうするのか、その反応を見ようとしていたのだと思いますし、このことを通して、ヨセフとすれば、ベニヤミンを救おうという思いもあったのだと思います。もし兄たちが、ベニヤミンのことを見捨てて、そのまま実家に帰ってしまうなら、兄たちが去った後に、ベニヤミンに対して、自分がヨセフであることを打ち明け、そのまま、兄弟一緒に暮らそうというふうに考えていたのではないかと思うのです。
そんなヨセフにとって、思いもよらないことが起こります。兄たちの一人であるユダがヨセフの前に来て、「ベニヤミンを置いていくわけにはいきません。そのように父とも約束したんです。代わりに私が奴隷になります」と言ってきたのです。まさか、兄たちがそんなことを言うなんて、ヨセフは思いもよらなかったのではないでしょうか。かつて、自分が助けを求めた時には、一切無視し、自分を見捨ててきた兄たちが、自分にとって、かけがえのない弟であるベニヤミンをそんなふうに大切に思ってくれて、自分が身代わりになってまで、ベニヤミンを助けようとしてくれている…。ユダの言葉を聞いた時、ヨセフの心には、今まで抑えてきた色々な思いが溢れてきました。そして、ヨセフは人目もはばからず泣き出したのです。これまでヨセフは努めて、平静に保とうとしてきました。相手に自分がヨセフであることを気づかれないように、相手とも距離も一定に保って関わってきました。しかし、もはや平静を保っていることができなくなってしまいました。まるで心のタガのようなものが外れてしまったかのように、これまで抑えてきた思いが溢れてきました。そして、ヨセフは人目もはばからず、声をあげて泣いたのです。ヨセフの姿に、ヨセフがこれまで本当に様々な思いを抱えてきたんだなということを思います。本当ならば、もっと早く、自分がヨセフであることを伝えたかったのかも知れません。しかし、色々なことを考えた時、まだ本当に自分を明かせない、伝えられないという思いにさせられていました。そんな中、ユダの言葉を通して、兄たちの本当の思いを知らされ、ヨセフの心はほどかれていったのだと思います。そして、兄たちに近づき、自分がヨセフであることを告げたのです。