本日のローズンゲンの御言葉です。

「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。心を探り、そのはらわたを究めるのは/主なるわたしである。それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。」エレミヤ17:9-10

「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。」ガラテヤ6:9

二月になり、まだまだ寒い日々が続いています。しかし、この時期になると思い出す言葉があります。それは、「光の春」という言葉です。もともとロシア語に由来する言葉だそうですが、東北でもよく聞く言葉でした。二月はまだまだ寒いです。しかし、この時期から徐々に日差しが差し込む時間が長くなり、空が明るくなってきます。晴れた日の空の明るさには春を感じることもあります。このため、「光の春」と呼ばれるのです。次にやって来るのが、「音の春」です。二月中旬頃になると、鳥の鳴き声や、雪解け水が流れる川の音などが聞こえてくるのです。そして、いよいよ、三番目に「気温の春」がやって来ます。3月中旬になると、一気に気温があがり、ぽかぽか陽気になるのです。東北は、冬が厳しく、長いので、よくこの三つの春という言葉に励まされてきました。

「まだまだ厳しい寒さが続くけど、春は着実にやって来ているんだよ」

そんなふうに話し合っていたことを思い出します。本日の箇所には次のように記されています。

「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。」

本日の箇所を読みながら、「たゆまず善を行いましょう」という言葉が心に留まりました。このように書かれているということは、「一生懸命善いことをしようとしても、そのことが報われない」と思ってしまうような状況があるのだと思います。そんな中、「自分たちがしていることに意味があるんだろうか」と心萎えてしまう…。そういう私たちに語りかけられている言葉なのだと思うのです。そんな私たちに対し、「現状として、自分たちがしていることが報われないように思えたとしても、心萎えることなく、たゆまず善いことを行なっていきましょう、飽きずに励んでいるなら、必ず、してきたことの結果を刈り取る時がやって来るんです」と励ましているのだと思います。本日の御言葉を読みながら、先ほどの「三つの春」を思い出しました。中々先の厳しい寒さの続く冬のように、私たちの現実も厳しい状況が続いているかも知れません。私たちがすること一つ一つに意味なんてあるのだろうかと思ってしまうことがあるかも知れません。しかし、春が必ず来るように、私たちの歩みも変えられる時が必ず来ます。その時、私たちが冬の時期に根気強く「希望の種」を植え続けていくとするなら、その「種」は確かな実を結んでいくのです。そのことを信じつつ、私たちが今できる善いことを一つ一つ行なっていきたいと思うのです。

鈴木牧人

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