本日のローズンゲンの御言葉です。

「見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける。」申命記11:26-28

「わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。」ヨハネ15:10

昨日、福島のO牧師からお電話をいただきました。私たちの教会から送らせていただいたお手紙やお菓子への感謝のお電話でした。電話の中でO牧師は福島の近況を教えてくださいました。O牧師は先日福島第一原子力発電所の中を見学されたそうです。現在、福島県民に限り、内部見学ができるようになったということでした。第一原発の一号機から100㍍の場所まで行ったそうですが、その場所で線量計を見たところ、「100マイクロシーベルト/時」あったということです。労働基準法では「0.6マイクロシーベルト/時」以上を放射能管理区域(レントゲン室等)として18歳未満の作業を禁止しています。原発事故当時、「20マイクロシーベルト/時」の場所では「そこは危険だから住むことはできない」と言われてきました。そのことを考える時、この数字が大変な数字であることが分かると思います。けれども、関係者の人は「何ら問題ありません」と話していたそうです。その後、座談会を行なったそうですが、質問しようとして何か言いかけたところ、強めの言葉で「今は自己紹介の時間だから余計なことを言わないでください」と言われたり、「原発賛成はない人がこの見学会に来るのはおかしい」と言われたそうです。とにかく「これは、おかしいんじゃないか」と思っても、そんなこと口にできる雰囲気ではなかったということでした。お話を聞きながら思い出したのは、震災後、福島大学の研究所に貼られていた言葉でした。「原発事故が起こる前は、原発安全神話が唱えられ、事故が起こった後は、放射能安心神話が唱えられている。」まさに今、そのような状況なんだと思いました。同時に、そのような現状を福岡に住む私たちは、あまりにも知らな過ぎることを思いました。本日の箇所には、次のように記されています。

「見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける。」申命記11:26-28

ここで、神はイスラエルの民に対し「あなたたちの前に祝福と呪いを置く」と言われました。イスラエルの民がカナンの地で住むにあたって、祝福に与って生きることができるか、そうでないか、あなたたちは自ら選び取っていかなければいけないんだと言われたのです。東日本大震災から12年の節目を迎えるこの日に、この御言葉が与えられたことが心に迫ってきます。東日本大震災や原発事故の出来事は、私たちに「これからあなたたちは何を選び取っていくのか」ということを問い続けている出来事ではないかと思います。未来の世界に対し、私たちは何を残し、もたらそうとし、そのために、私たちは何を選び取っているのでしょうか。O牧師の話を聞きながら、改めて、そんなことを考えさせられました。      

鈴木牧人

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Translate »