本日のローズンゲンの御言葉です。

「地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも/寒さも暑さも、夏も冬も/昼も夜も、やむことはない。」創8:22

「それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。』」ルカ22:19-20

本日の箇所には、次のように記されています。

「地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも/寒さも暑さも、夏も冬も/昼も夜も、やむことはない。」

神様はノアの時代、世界を襲う大洪水を引き起こされました。その洪水の中でノアたち家族だけが救われました。一年にわたる洪水の後、ノアたちはようやく大地を踏みしめることができます。その時、ノアたちは神様にいけにえの献げ物を献げ、礼拝したのでした。そのいけにえの香りを嗅いだ神様は、もう二度とこのようなことをすまいと語りました。それが本日の箇所です。この御言葉を読みながら、「種蒔きも刈り入れも/寒さも暑さも、夏も冬も/昼も夜も、やむことはない」という言葉が心に留まります。この言葉をノアたちはどんな思いで聞いたのでしょう。洪水で全てのものが失われていました。目の前の状況だけを見たら、「もう、やり直すことなんかできないんじゃないか」と思ってしまうような状況だったかも知れません。そんなノアに対して、神様は「種蒔きも刈り入れも〜やむことはない」と語られたのです。ノアはこの後、農夫となり、ぶどう園を作ったことが記されています(9:20)。荒れ果ててしまった大地を見つめながら、ノアはそれでもそこから始め、大地を開墾していったのでした。

福島の郡山にいた頃、教会の庭には花が咲き乱れていました。私が赴任したばかりの頃は、庭は雑草ばかりが生えていたのですが、教会員のお知り合いが無料でユンボを貸してくださり、土を全て入れ替えることができました。その後、花壇を作ったり、ブランコを置いたりしながら、教会自慢の庭となりました。しかし、2011年の原発事故でその庭は失われてしまいました。草花も土も、除染のため、全て廃棄することになり、庭を全てブルーシートで被うことになったのです。大きな物置小屋を建て、そこに支援物資を入れ、庭にはその支援物資を取りにいくことしか無くなってしまいました。しかし、その庭も今、少しずつ緑を取り戻しているようです。郡山の教会員の方が時々に教会庭の画像を送ってくださっているのですが、少しずつ花を植えながら、庭も華やいでいるとのことでした。本日の御言葉を読みながら、その画像を思い出しました。

原発事故のことだったり、コロナのことだったりを経験しながら、その度に、「これからどうなってしまうんだろう」と思ってしまいます。ですが、その後、こうして歩みだすことができていることに、ただただ神様の守りと導き、憐れみを感じます。ノアの洪水後、そこからなお歩みを始めてくださった神様は、今も私たちの歩みを導いてくださっているのだと思うのです。そして、そのように「そこからなお歩みを始めてくださった」ということの最たる出来事が、イエス・キリストの十字架と復活の出来事なのだと思います。      

 鈴木牧人

“日々の御言葉メールより(4月9日分)” への1件のコメント

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    日曜礼拝に参加させていただき、ありがとうございました。 また、今日は丁寧なお葉書をありがとうございますます。 実は、三月初めに夫が亡くなりました。 深い悲しみの中におります。  日曜日(4月9日)のお説教は、まるで私のことを言われているようでした。 ただ、暗い顔をしておりました。 古いことですが、幼稚園がパブティスト教会の経営する幼稚園でした。(遠賀郡芦屋町の愛生幼稚園)日曜日には、”金ぴか”の十円玉をもって、日曜教室に通ったものです。 その時の園長先生は、私が就職した後に出張のたびに空港(職場)に尋ねていただきました。 また、園長先生の卒園アルバムには、”コリントへの手紙”の一説があり、一生懸命に生活することを教えていただきました。 本当は、実家は仏教徒なのですが、今でも眠るときなどに「神様、今日は無事に過ごしました。」とつぶやいております。 また、ぜひとも日曜礼拝に参加させてください。 ありがとうございました。

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