本日のローズンゲンの御言葉です。

「イスラエルの王は答えた。「こう伝えよ。『武具を帯びようとする者が、武具を解く者と同じように勝ち誇ることはできない』と。」」列王記上20:11

「心の底から新たにされて」エフェソ4:23

昔からそうなのですが、私は物を捨てるという時、ふと思い留まって「これって、何かに使えないかな」と思う癖があります。そんな癖から、教会にあるものなんかをリフォームして、あれこれと色々なものを作ってきました。使わなくなったエレクトーンの中身を取り除き、収納箱にしたり、廃棄する予定だった板を組み合わせて、冷蔵庫横に収納棚にしたりしてきました。ギターの収納棚なんかも作りました。そういうことをしてきた経験からつくづく思うことがあります。それは、「こうしたらこうなるんじゃないか」と思っていることと、実際にしていくことではまるっきり違うということです。自分の中で「こういうものを作りたい」とイメージをもって、何かを作り始めるのですが、実際には中々思う通りにはなりません。実際に作ってみると、当初、自分が思い描いていたイメージとは全然違うものができてしまうのです。いわゆる自分の頭の中でだけ考えた「机上の空論」だけでは上手くいかないということを経験してきました。

本日の箇所には、次のように記されています。

「イスラエルの王は答えた。「こう伝えよ。『武具を帯びようとする者が、武具を解く者と同じように勝ち誇ることはできない』と。」」

ここで言われていることは、言うなれば、「まだ戦ってもいないような人が、すでに勝ったかのように誇ることなどできない」ということです。本日の箇所を読みながら、ふと教会の備品作りのことを思いました。実際に作ってもいないのに、出来上がったイメージばかりが先行していても、中々そんなふうに思い通りになんかいかない…。実際に作り上げた棚などを見る時、「こんなはずじゃなかったのにな」と思うことがあります。散々、期待して作ったのに、実際、出来上がったものは正直、がっかりで、「もう少し何とかならないかな」と思ってしまうのです。実際に何かを作りあげるということはそういうことなのだと思います。そして、それは物づくりの話だけではないのだとも思います。実際に作りあげようとしていく時、そこには思いもよらないことがあり、実際に初めてみないと分からない問題にも直面させられていくことがあるのです。教会の様々な働きを始めていくこともきっとそうだと思います。

現在、私たちの教会では、ミャンマーの人たちとの関わりを始めています。その他にも今後の地域の関わりとして、子ども食堂の可能性なども話し始めています。それらのことが具体的にどうなっていくのか、未だ分かりません。ですが、どうなるか分からないにしても、具体的なことを話し始めていくことから進めていけたらと思っています。そうすることで、具体的に見えてくることがあるのだと思うのです。最初から決めつけず、焦らず、急がず、その都度その都度、丁寧に話し合いながら、祈り、御言葉に聞きながら、一歩一歩の歩みを進めていきたいと思っています。その都度、思いもよらないことがあるかも知れませんが、私たちが祈りつつ、歩もうとしていく時、神様はその一つ一つのことを取り扱ってくださり、それらのことを益に変えてくださるのだと思います。そして、時に私たちの思いもよらない祝福の出来事が起こされていく…。そういうこともきっとあるのだと思うのです。いずれにしても、主に信頼し、期待し、今できる精一杯で歩んでいくことができたらと思います。日曜日にはミャンマーディナーナイトが行なわれます。これらの働きのため、ぜひ覚えてお祈りください。

     鈴木牧人

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