「教会の祈りが開く扉」

マタイ18:18~20

本日の箇所は、祈りについて書かれています。この箇所は、イエスさまが語られた、兄弟の忠告についての後半部分です。17節で、イエスさまは「教会」という言葉を語っておられます。イエスさまは、教会に祈ることを求めておられるのです。なぜなら、祈りを通して、教会は教会となっていくからです。祈りを通して、私たちは神さまとつながります。しかしそれだけではありません。

仕事のことで悩んでいたとき、祈り会でそのことを打ち明け、祈ってもらったことから道が開かれた経験をしました。そのことを報告すると、一緒に祈ってくれた姉妹も本当に喜んでくれました。私たちは、ともに祈った兄弟姉妹とも、イエスさまにおいてつながることができるのです。祈り会で・教会学校で・礼拝で共に祈り、神さまのみわざを目撃し、体験すること。祈りを通して、教会は整えられ、教会となっていくのです。そして、続く聖書の箇所には、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」とあります。この教会の交わりの真ん中に、イエスさまがいてくださいます。

さらに、また、祈りは私たちを祈りの対象者ともつなぎます。
昨年11月に、Sさんからこのようなメールが届きました。

「ミャンマーはまだなおひどい状況であり、わたしたちは自分たちのためには祈ることができないのです。そのようなミャンマーのために継続的にいつも祈ってくれて、ありがとうございます。」19節には、「はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」とあります。祈りは、地上だけのことでも、天上だけのことでもないのです。私たちが地上でSさんたちのことを祈るとき、それは天上の祈りとなり、Sさんが祈れないときも、Sさんと神さまをつなぐわざとなります。そして、そのことを通して、私たちもSさんとつながることができるのです。私たちが祈るとき、祈りの対象者ともつながることがゆるされているのです。

コロナが5類となり、少しずつ日常が取り戻されています。教会にも、足を運ぶ人が増えるでしょう。中には、この3年間、教会から遠のいていて教会に来にくい、という方もおられるかもしれません。しかし、私たちは祈りによって確かにつながっていたのです。祈り会では、教会員の一人一人を名簿の順番に祈っています。祈りの交わりは、この3年間も、途絶えることはなかったのです。だから、安心して教会にきていただきたいと思います。

教会の祈りの輪に加わりましょう。そして、その真ん中にいるイエスさまを、喜び、知らせましょう。私たちも、主のみわざの証人とさせていただきたいと思います。

(大内姉)

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