本日のローズンゲンの御言葉です。

「御覧ください、わたしの貧しさと労苦を。どうかわたしの罪を取り除いてください。」詩編25:18

「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」ルカ15:7

昨日の礼拝メッセージの後、応答讃美として、「ちいさなかごに」という讃美を選ばせていただきました。この讃美は、教団讃美歌の第二編に掲載されている讃美歌ですが、私が大好きな愛唱讃美です。

「ちいさなかごに花を入れ/寂しい人にあげたなら/部屋に香り満ちあふれ/暗い胸も晴れるでしょう/愛の業は小さくても神の御手が働いて/悩みの多い世の人を明るく清くするでしょう」

私の中では、信仰者としての生き方の原点がこの讃美にあるんじゃないかと思っています。私たちがそれぞれできることというのは、突き詰めていうなら、些細なことばかりです。この讃美にあるように、ちいさなかごに花を入れ、その花を寂しい人のところに届けようとすることだったりするのではないでしょうか。しかし、そんな小さな愛の業しかできなかったとしても、その業を神様が用いてくださるなら、その業を通して、神様は私たちの世界に光を灯してくださるのだと思うのです。今の時代を見る時、目の前の課題の大きさに圧倒され、自分のちっぽけさに落ち込んでしまうばかりです。ですが、この讃美を出発点としながら、私たちのできること一つ一つをしていきたいと思うのです。

昨日は、花の日でもありました。礼拝後、幼小科の皆さんが派出所と消防署に、そして、女性会の皆さんが病気療養中の方のところにお花を届けに行きました。私は、女性会の皆さんとN姉のところにお花を持って出かけました。N姉は一昨年の冬の脳梗塞で倒れて、その後、リハビリを続けています。ご本人は教会でみんなでおしゃべりするのが大好きなのですが、この間、教会に来ることができず、本当に残念な思いをさせられています。そんな中、三度、脳梗塞をされ、今回の脳梗塞は酷いと聞かされていました。これまで何度か、お見舞いに行ったのですが、三度目の脳梗塞の後、「来ても寝たきりだから」ということで、会うことができないことが続いていました。そんな中、今回、「お花を届けるだけでも」ということで、ご主人に了解を得て、お花を持って出かけたのです。道中、「ご主人にお花を届けて帰りましょうね」と話していました。ですが、お家に行ってみると、Nさんが私たちを迎えてくれました。一緒にお話しし、お祈りすることもできました。Nさんは私たちの訪問に何度も何度も「ありがとう」と答えてくださり、Nさんもご主人も目を涙でいっぱいにしていました。その姿に私たちの胸もいっぱいになりました。そんな中、礼拝の中で歌った「ちいさなかご」の歌詞が改めて、心に迫ってきました。本日の箇所には、次のように記されています。

「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

本日の御言葉を読みながら、「大きな喜び」という言葉が心に迫ってきました。Nさんと面会できたことを教会の皆さんにも報告したところ、みな、我が事のように喜んでくださいました。その様子を見ながら、きっと天国では、私たち以上に喜んでくださっているんじゃないかと思いました。そんなふうに天からの眼差しは、私たちを誰よりも思い、私たちの思いを知っていてくださり、私たちの悩み、痛みを我が事のように、悩み、痛んでおられるのだと思います。その眼差しに励まされながら、支えられながら、私たちの歩みは確かにされていくのだと思うのです。

鈴木牧人

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