「勝利の行進」
創世記50章1-14節
本日の箇所は、アブラハム、イサク、ヤコブの歩みの中、ヤコブが天に召され、墓に葬られた記述です。ヤコブの葬儀は、エジプトの国全体を挙げての葬儀となりました。そこに参列したのは、ヤコブの親族だけで行なわれたのでなく、ファラオの宮廷の元老である重臣たちすべてとエジプトの国の長老たちすべてが参列したのです。本日の御言葉を読みながら、思い浮かべたのがⅡコリント2:14です。「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」(Ⅱコリント2:14)。ここには「キリストの勝利の行進」ということが書かれています。ここで語られる御言葉のイメージは、ローマ軍の凱旋パレードです。ローマ軍は様々な国に出かけて行って、戦い、勝利を得ると、自分たちの国に帰って、凱旋パレードというものを行ないました。この御言葉では、その様子がイメージとして語りながら、イエス・キリストに従う者たちの「キリストの勝利の行進」を語っているのです。周りでは、ローマ軍の兵士たちが勝利の凱旋パレードを行い、人々がその様子に沸いているかも知れません。それに対して、自分たちは現実的に戦争に出かけていっているわけでもありませんし、武力で相手をねじ伏せ支配しようとしているわけでもありません。むしろ、それとは全く正反対な生き方を選び取っています。しかしながら、神を信じ、イエス・キリストに従い歩む私たちを、主は必ず、「キリストの勝利の行進」に連ならせてくださるんだ…。パウロはそのように語っているのです。イエス・キリストに従う歩みは、様々なことがあるかも知れません。困難なことや、色々な葛藤、霊的な戦いを通らされることもあるかも知れません。しかし、イエス・キリストに希望を置き、従っていく私たちを、イエス様は必ずや勝利に導いてくださるんだということが書かれているのです。
ヤコブはまさに、その生涯を通して、神様によって勝利を与えられた人でした。ヤコブはその生涯を通して、神様を見上げ、神様を信じ、神様に従ってきました。そして、その神様によって勝利を得ました。ヤコブは、エジプトの王様でも何でもありませんでした。エジプトの国に、外国から避難するためにやって来た避難民でした。しかも、ヤコブの仕事は、羊飼いであり、それというのは、当時のエジプトの人たちには蔑まれていたような仕事でした。そんなヤコブが、このように国を挙げて、覚えられ、悼まれ、心からの思いで弔われていったのです。普通であれば考えられないようなことだったのだと思います。しかし、そんなことさえ、忘れさせるような様子が本日の箇所には記されています。まさに、神様による勝利とは、こういうことなんだと記されているのではないかと思います。私たちの信仰の歩みも、ヤコブと同様、現実的に言えば、王様とはかけ離れたような歩みがあるのだと思います。しかし、主はキリストを信じ、従う私たちを「キリストの勝利の行進」に連ならせてくださいます。本日の箇所からそのことを改めて覚え、励まされていきたいと思います。