「神の国はあなたがたの中に」
ルカによる福音書17章20-21節
本日の箇所には、ファリサイ派の人々と、イエス様とのやり取りが記されています。ファリサイ派の人々が、イエス様に対して、「神の国はいつ来るのか」(17:20)と尋ねました。すると、イエス様は、ファリサイ派の人々に対して、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(17:20-21)と答えられたのです。イエス様がここで語られた言葉を解釈するのは、非常に難しいです。ただ多くの註解書では、「あなたがたの心の内部にということではないだろう」と言われています。それより、私たちお互いの間に神の国はあるんだと言われているんだろうということが言われています。そんな中、岩波の聖書には、この箇所を、「あなたたちの現実のど真ん中」にいう訳し方がされています。
先日、ある集まりで、一人の先生がこんなことをおっしゃっていました。
「私たちの信仰生活の歩みには色々なジレンマを感じることがある。たとえば、日曜日に、教会で礼拝を献げ、聖書を分かち合い、讃美の歌を歌う。そんなふうにして、イエス様を心に向ける。しかし、そこから、遣わされていく普段の生活では、そういう信仰の価値観とは全く違うような世界が広がっている。その世界に生きようとしていく時、ジレンマを感じることがある。みんな、そういうジレンマを感じたり、抱えたりしたことがあるんじゃないだろうか。」
それに対し、別の先生がこんなふうにおっしゃっていました。
「確かにそうだよね。クリスチャンが少ないこの日本の中で信仰生活を歩んでいく時にそういうジレンマを誰しも抱えているんじゃないだろうか。その時に私たちは二つの受け止め方があると思う。一つは、自分の中で割り切ってしまうことだ。信仰の事柄と、普段の生活を自分の中で割り切ってしまう。そういうふうにしていくことがあるんじゃないだろうか。それは、ある意味、楽だったりするんじゃないかと思う。けれど、私はそういうところで『もがくこと』が大事なんじゃないかと思う。自分が信じている信仰を大切にしようとする。でも、それと余りに違う現実を見せられ、その現実に生きなければいけない自分がいる。そのはざまで悩んだり、迷ったりしながら、がっかりさせられたりしながら、それでもあがいたり、もがいたりしていく。そういうことが大事だったりするんじゃないだろうか。そういうもがきの中で、神様は私たちに本当の意味で出会ってくださるんじゃないかと思う。」
本日の御言葉を読みながら、そのやり取を思い出しました。イエス様が本日の箇所でおっしゃっているメッセージというのは、まさにそういうことなんだと思います。私たちが大切にしている信仰の思いと、目の前の現実が余りに違います。その違いにジレンマを感じたり、悩んだり、迷ったり、がっかりさせられてしまうことがあります。しかし、それでもあがいたり、もがいたりしていく時、そういうことの中で出会ってくださる方がいます。まさにそこで私たちは神の国に出会っていくのです。