本日のローズンゲンの御言葉です。

「祭司の命を髄をもって潤し/わたしの民を良い物で飽かせると/主は言われる。」エレミヤ31:14

「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」Ⅰペトロ4:10

本日の御言葉には、次のように記されています。

「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」

8月9日は、長崎への原爆投下を覚える日です。インターネットの記事に、これまで1200回以上にわたって、修学旅行生を対象に被爆講話をされてきた築城昭平さん(96)のことが書かれていました。築城さんは18歳の時、爆心地から1.8キロの師範学校の寮で寝ていて被爆しました。割れた窓ガラスが布団を突き破って体中に刺さり、布団から出ていた左腕には大やけどを負い、今もケロイドが残りました。寮を出て防空壕に向かうと、やけどで全身の皮膚が垂れ下がった人や、真っ黒になった人がいました。「人が人でなくなる。この地獄を繰り返すわけにはいかない」。教師を志す身として、若者に原爆を伝える決心をしました。1947年に中学校教師になり、そこから平和教育を続けてきました。70年に200人以上が集まり、長崎県原爆被爆教師の会が発足しました。その時、初代会長に就いたのが築城さんでした。原爆について知らない子どもたちが目立ち始め、「組織的な平和教育を」との声が高まる中、学年集会や道徳の授業のほか、長崎に訪れた修学旅行生などに被爆体験を語り始めました。しかし、教育委員会や管理職からの圧力を感じるようにもなりました。77年、長崎市立西町小の図書室にあった同会発行の原爆読本150冊が撤去された際には、築城さんは同会会長として、市教委や校長に公開質問状を提出し、抵抗の意思を示しました。78年には、長崎市教委が「平和に関する指導資料」の中で、平和に関する教育の基本原則として、「『原爆を原点とする』ものではない」と明記しました。校長の判断で8月9日の登校日を取りやめる学校が出るなど、平和教育を巡る対立はその後も続きました。しかし、その中でも築城さんら、教師は屈することはなく、信念を貫きました。平和教育に大きな転機が訪れたのは、99年の長崎原爆の日でした。当時の伊藤一長市長(故人)が、平和宣言の中で「長崎を平和学習の拠点と位置付けます」と述べました。2001年に市教委が示した「平和教育の基本三原則」では、「『原爆を原点とする』ものではない」との文言は削除され、新たに「被爆体験を継承」という言葉が加わりました。築城さんは既に退職していたが、「被爆教師の思いが結実した」と胸を熱くしました。現在はこの理念の下、市内全ての小中学校が、被爆講話の聴講や原爆資料館の見学、8月9日の登校日に平和を考える学習などに取り組んでいます。

築城さんの記事を読みながら、本日の箇所の「管理者」という言葉が心に迫ってきました。私たちはそれぞれ神様から託された大切な務め、役割があります。その務め、役割に応えていくことが、本日の箇所に記されている「管理者」ということなのではないでしょうか。本日の箇所には「恵みの管理者」と記されていますが、私たちは神様から与えられた務め、役割は必ずしも、「嬉しい」「恵みだ」と噛みしめるようなものばかりではないかも知れません。「同じような過ち、失敗をもう繰り返してはならない」という思いから大切なことを語り続けていくことも「管理者」としての役割の一つなのではないでしょうか。

鈴木牧人

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