本日のローズンゲンの御言葉です。
「あなたの神、主は、あなたの手の業をすべて祝福し、この広大な荒れ野の旅路を守り、この四十年の間、あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった。」申2:7
「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」ヨハ1:16
本日、平和祈念礼拝を献げます。平和祈念礼拝は毎年、青年会の皆さんが様々なテーマを選んで準備してくださっています。今年のテーマは、ボンヘッファーの『共に生きる生活』という本を読み進めての発表となります。青年会ではこの本をこれまで3年にわたって読み進めてこられました。難しい内容に悪戦苦闘したりしていたようですが、その言葉の一つ一つに心打たれたり、気づかされたりしてきたようです。この本は、ボンヘッファーがナチ下で厳しい闘いを強いられていた1938年に執筆されました。ボンヘッファーが所長であった告白教会牧師研修所と兄弟の家(ブルーダーハウス)における牧師研修生たちとの共同生活の経験がベースになったと言われています。実際の経験の中から、他者と共に生きる困難と恵みを説く深い洞察は、今の私たちにも様々な示唆と励ましを与えてくれる書物です。この本の中の最も有名な一文の一つです。
「ひとりでいることのできない者は、交わり〔に入ること〕を用心しなさい。交わりの中にいない者は、ひとりでいることを用心しなさい。」(P.111)
「ひとりでいることのできない者」「交わりの中にいない者」それぞれによくよく用心しなければならない課題があるんだということを語っています。そのように「共に生きる」ことの大切さ、そのことの中で心に刻むべきことを、様々な観点の中から語っている書物です。ぜひ一度読まれることをお勧めいたします。本日の箇所には次のように記されています。
「あなたの神、主は、あなたの手の業をすべて祝福し、この広大な荒れ野の旅路を守り、この四十年の間、あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった。」
本日の箇所を読みながら、改めて「共に生きる」ということを思いました。イスラエルの民の荒れ野での40年は、まさに徹底して「共に生きる」ということを学ぶ歩みでした。主と「共に生きる」ということ、イスラエルの民同士、お互いに「共に生きる」ということを学びながら、40年を歩んできたのです。何事もないような日常でも、「共に生きる」生活の中では色々なことが起こります。荒れ野のような厳しい毎日でしたら、なおさらだったのではないでしょうか。そんな中、悩んだり、迷ったり、共に生きることが困難に思えたりという経験もさせられたのだと思います。しかし、その40年を振り返ってみた時、気づかされていったのは、ただただ神様の憐れみ、恵みでした。そのただ中では、気づかなかったこともたくさんあったかも知れません。しかし、その歩みを振り返ってみた時、どれほど守られ、恵まれ、「大変だ、大変だ」と慌てふためきながらも、何一つ不足することなく、歩んでくることができたのでした。本日の箇所を読みながら、私たちもそういうことがあるのではないかと思います。共に生きる歩みの中で色々な思いを通らされるかも知れません。しかしながら、守られ、支えられ、多くの恵みの中で神様に導かれていることに気づかされることがあるのではないでしょうか。
鈴木牧人