本日のローズンゲンの御言葉です。

「人間に頼らず、主を避けどころとしよう。」詩編118:8

「わたしの最初の弁明のときには、だれも助けてくれず、皆わたしを見捨てました。彼らにその責めが負わされませんように。しかし、わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。そして、わたしは獅子の口から救われました。」Ⅱテモテ4:16-17

昨日の礼拝でこんなことがありました。礼拝が始まって、間もなくして、実はオンライン配信が上手くいっていないことが分かったのです。パソコン側の操作は問題なかったのですが、どういうわけかそれをYouTubeに配信することができていませんでした。問題の原因を突き止めようとしたのですが、分かりませんでした。結局、パソコンを再起動し、オンライン礼拝の設定を再度するしかありませんでした。ですが、その間、礼拝プログラムはどんどん進んでいきます。礼拝からだいぶ経ってからようやく配信ができるようになりました。そうして配信が始まったのは、礼拝メッセージが始まったタイミングでした。オンライン礼拝をされていた方には、配信トラブルでご迷惑をかけてしまったと思っています。ですが、幾人かの方からは「礼拝メッセージからきちんと聞けました」とコメントを寄せてくださいました。ご迷惑をかけて、申し訳なかったなと思いつつ、ギリギリのところで守られたなと思わされています。本日の御言葉には、次のように記されています。

「人間に頼らず、主を避けどころとしよう。」

この御言葉を読みながら、昨日のオンライン配信を思いました。オンラインで礼拝された方がこんなことをおっしゃっていました。「初めて、オンライン礼拝をしたのですが、なかなか配信が始まりませんでした。自分にもどうすることもできないので、ただただ祈って待っていました」。お話しを聞きながら、昨日の礼拝はそのような方の祈りによって守り、支えられていたんだなと思いました。毎週のオンライン礼拝一つとっても、当たり前のように行なえているのではなく、神様の守りや支えの中で献げていることを痛感しています。そんなふうに、私たちは私たちなりに精一杯のことをあくせくしながら日々を歩んでいるのですが、そんな私たちは主の守りと支えの中で歩んでいるのです。そのことを忘れず、主こそ私たちの避けどころであることを覚えていたいと思います。本日は9/11です。22年前の出来事を心に刻みつつ、この悩みと痛みの中、争い、諍いの絶えない世界の中で、主を避けどころとしながら、主にあるシャロームを祈り求めていきたいと思います。

鈴木牧人

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