本日のローズンゲンの御言葉です。

「慈しみをいただいて、わたしは喜び躍ります。あなたはわたしの苦しみを御覧になり/わたしの魂の悩みを知ってくださいました。」詩編31:8

「イエスはそれを許さないで、こう言われた。『自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。』」マルコ5:19

本日の箇所には、次のように記されています。

「イエスはそれを許さないで、こう言われた。『自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。』」

この箇所は、イエス様がゲラサの人々が住んでいる地で、汚れた霊に取りつかれた男を癒されたという箇所です。この男について、聖書はマルコ5:3-5で次のように紹介しています。

「この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた」(マルコ5:3-5)。

このように、この男性は長い間、人々に厄介者として扱われ、足枷や鎖で縛り付けようとしたことが書かれています。しかし、彼は鎖を引きちぎり、足枷を砕き、昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていたのでした。この男性は、これまで、どれほど孤独で、辛く、苦しい歩みをしていたのだろうかと思います。そんな彼がイエス様に出会いました。そして、イエス様の取り扱いを通して、悪霊から解放され、自分自身を取り戻していったのでした。彼はイエス様と一緒に行きたいと懇願します。これまでゲラサの地では散々酷い目に遭ってきましたし、もうこれ以上ここにはいたくないという思いもあったかも知れません。またそれ以上にイエス様に出会い、イエス様と共に歩んでいきたいという思いがあったのだと思います。しかしながら、イエス様が彼に対し、「それを許さないで」と書かれているのです。この言葉を読む時、正直、エッと思ってしまいます。「何で、イエス様は、この人がイエス様について行きたいって言っているのに、それをダメと言われるんだろう」と思ってしまうのです。しかし、そこには私たちの思いをはるかに超えたイエス様の思い、イエス様の御心がありました。この時、イエス様は彼を悪霊から解放したせいで、ゲラサの人たちに驚かれ、「ここから出て行ってほしい」と言われてしまいました。イエス様はそれ以上、ゲラサの人たちに福音宣教をすることができなかったのです。しかしながら、イエス様は御自身の代わりに、この人をゲラサ人たちのところに遣わそうとされていたのでした。結果、彼を通して、デカポリス地方全体にイエス様のことが伝えられていったと聖書が記しているのです。そのようにイエス様は御自身を拒む人たちに対して、それでも神様の愛と福音を伝えようとされ、悪霊から解放されたこの男性の人を用いて、彼が考える以上の大切な働きを委ねようとしていたのでした。それがイエス様なんだなと思います。私たちはその時、その状況だけを切り取って物事を判断すると、イエス様の御心が分からないことが多々あります。しかし、イエス様は私たちの思いを越えた形で私たちを用い、私たちの思い以上のことをしてくださるのです。そのことに信頼しつつ、主に委ね、主の御心を追い求めていきたいと思います。 

 鈴木牧人

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Translate »