「光の証し人」

ヨハネによる福音書1章6-13節

本日の箇所には一人の人物が紹介されています。ヨハネです。ここで言われているヨハネとは、ヨハネによる福音書を記したイエス様の弟子のヨハネのことではありません。バプテスマのヨハネのことです。バプテスマのヨハネは、イエス様が活動される少し前に活動した人物です。その働きは「イエス様の福音宣教の道備え」をすることでした。彼は自分のことを「荒れ野で叫ぶ声である」と語りました。「荒れ野で叫ぶ声」とありますように、バプテスマのヨハネが活動したのは荒れ野でした。そこで人々に神様からのメッセージを伝えたのです。ヨハネの働きは当時の人々に大きな影響を及ぼしました。マタイの福音書3:3-6には、「エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出てきて、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた」と書かれています。そのように、ヨハネが語ったメッセージは、当時の人々に大きな影響を及ぼし、多くの人々がヨハネのメッセージを聞いて、悔い改め、神様に立ち帰っていきました。その働きは、後にイエス様が福音宣教を始めるにあたっての大切な道備えとなっていったのです。

本日の箇所には、バプテスマのヨハネについて「彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである」(1:7)と書かれています。ここで言われている「光」とは、「イエス・キリスト」のことです。バプテスマのヨハネは、イエス・キリストを証しするために来ました。そして、その証しによって、すべての人がイエス・キリストを信じるようになるために来たというのです。

本日の箇所を読みながら、ここで語られている「証し」ということについて考えていきたいと思います。これまで私たちはヨハネによる福音書を読んできましたが、そこにはイエス・キリストこそが、まことの神のことばだということが書かれていました。イエス・キリスト御自身が神様のことばであり、イエス・キリストは自ら私たちに神様を表してくださるのです。しかしながら、私たちがこのイエス・キリストに出会っていくためには、道備えをする人、証をする人が必要なのです。その道備えをする人、証をする人を通して、私たちはこのイエス・キリストのもとに導かれていくのです。それは今もそうなのだと思います。私たちにとって大切なのは、イエス・キリストに出会っていくことです。でも、誰もイエス・キリストを伝えてくれる人がいなければ、イエス・キリストに出会うことはできません。私たちにイエス・キリストこそが、まことの神のことばなんだということを証ししてくれる人、そのことが本当なんだということを証ししてくれる人、そして、イエス様のことや、聖書に書かれているメッセージ一つ一つのことを私たちにかみ砕いて、分かりやすく伝えてくれる人…。そういう証し人が必要なのです。まさにバプテスマのヨハネは、その最初の人なのだと思います。バプテスマのヨハネから始め、今も福音宣教がなされていくところには、そのような証し人が立てられていく…。私たち自身も、そのような証し人との出会い、交わりを通して、イエス・キリストを知り、信仰が与えられていくのです。

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