本日のローズンゲンの御言葉です。
「主がイスラエルの家に告げられた恵みの約束は何一つたがわず、すべて実現した。」ヨシュア21:45
「こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。」ルカ13:17
昨日、無事にN姉の葬儀が執り行われました。告別式の中で、こんな話をしました。N姉が脳梗塞で倒れられた後、N姉に何度か「教会に来られたい時には迎えに来ますよ」と話したことがあります。ですが、N姉からは「まだもう少し」と言われていました。N姉としては、教会に来るのであれば、教会の皆さんときちんとお話したかったのだと思います。みんなと会っても、上手く言葉が出てこないので、もう少し待ってほしいという思いだったようです。それほどにN姉はみんなとお話することを楽しみにしていた方でした。
N姉のところに、教会員のみんなで色紙に寄せ書きをして持っていったことがあります。N姉はそれを大変喜んで、私に何度も「先生、ありがとう、ありがとう」とおっしゃっていました。その姿を見ながら、本当はもっと色々な言葉で、思いを言いたいのかも知れないなと思いました。ですが、思うように言葉が出てこず、歯がゆさを抱えていたのではないでしょうか。その思いが繰り返し、おっしゃる「ありがとう」という言葉に表れているのではないかと思うのです。今年6月11日の花の日に、最後にN姉にお会いした時も、N姉が私たちに語っていたのは、「ありがとう」という言葉でした。そんな話をした後、告別式の最後の挨拶で、N姉のご長男がこんな話をしてくださいました。N姉が病床で最後に口にした言葉は「あ」だったそうです。脳梗塞で思うように言葉も出ず、体力も落ちている状況の中で、ご自身振り絞るようにして語ったのが、「あ」という言葉だったということでした。その「あ」はおそらく、「ありがとう」と言いたかったのではないかとおっしゃっていました。ご家族に対して、私たちに対して、そして、何より、神様に対して「ありがとう」と語っておられたN姉…。そんなN姉に私たちも「ありがとう」と言いたいと思います。そして、N姉との出会いや交わりを与えてくださった神様に「ありがとう」と言いたいと思います。本日の箇所には、次のように記されています。
「こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。」
本日の御言葉を読みながら、「群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ」との言葉が心に留まりました。そして、私たちもそんなふうに、イエス様のなさること一つ一つを喜び、感謝できることができたらと思いました。イエス様は今も、私たちのただ中に生きて働いておられます。些細な日常の出会い、出来事の中にも、イエス様は生きて働き、私たちを守り、支え、導いてくださっています。その一つ一つを喜び、感謝することができたらと思うのです。そして、N姉のように「ありがとう」と言う思いを大切にしていくことができたらと思います。
鈴木牧人