本日のローズンゲンの御言葉です。
「主はわたしの光、わたしの救い/わたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦/わたしは誰の前におののくことがあろう。」詩編27:1
「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」フィリピ4:13
今朝、K姉の娘さんであるUさんが教会に来られました。10/28はK姉の召天日で、そのことを覚えて、教会で祈りたいということで来られたのです。K姉の写真を前にして、一緒にK姉が大好きだった『花も』を歌いました。そして、本日のローズンゲンの御言葉を分かち合い、祈りました。
「主はわたしの光、わたしの救い/わたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦/わたしは誰の前におののくことがあろう。」
K姉が召されたのは、今から8年前の2016年のことです。K姉の信仰生活は三年でした。教会に来始めて半年でバプテスマを受ける思いが与えられ、その後、バプテスマを受けるための聖書の学び会を始め、そのちょうど、一年後にバプテスマを受けました。ただし、バプテスマを受けた後は、体調を崩すことも多く、中々教会に来られない時も続いていました。しかし、それでもバプテスマを受けてかたの一年半、K姉は神様に捕らえられ、神様のことを慕って過ごしておられました。私と妻が病室を訪ねると、いつも、「早く教会に行きたい。みんなに会いたい」とおっしゃっていました。そんなK姉のことを私たちはいつも祈ってきましたし、この一年半、主にあるかけがえのない時間を過ごすことができたのだと思います。
教会に来たばかりの頃、聖書の学びをしている中で、K姉はよく「もっと早くに教会に来ていればよかった。そうすれば、もっと教会でも色々な働きができたのに」とおっしゃっていました。また、「聖書の学びももっと若い時に学んでいればよかった」とおっしゃっていました。K姉の言葉を聞く度に、トルストイの小説、『光あるうち光の中を歩め』の主人公ユリウスの言葉を思い出しました。ユリウスも、人生の晩年にイエス・キリストを信じる信仰が与えられました。しかし、そのユリウスは「もし、自分がもっと若い頃、最初の頃に、ここに来ることができていたら」と嘆くのです。それに対し、一人の老人がユリウスに「嘆きなさるな」と語りかけます。そして、「神のもとには、大きいもの小さいものもありはせぬ。まっすぐな道を発見したうえは、神と共にそれをたどって歩み、過ぎ去ったこと、大きいこと、また小さいことを考えなさるな。」と言って、これまでのことをあれこれ考え、嘆くことなく、まっすぐな道を発見した今を大切にし、神様と共に歩みなさいと励ますのです。K姉もイエス・キリストを主と信じ、御自分の光として受け入れ、その生涯を全うされました。その期間は限られていたかも知れませんが、イエス・キリストを中心とした交わりが与えられたことはかけがえのない時だったのだと思います。そして、その交わりはK姉と私たちの交わりで終わらず、K姉の娘さん夫婦との交わりにも繋がっていることが感謝です。主にある出会い、交わりの豊かさを思います。本日の記念会もそのことを噛みしめる時でした。
鈴木牧人