本日のローズンゲンの御言葉です。
「神よ、わたしの愚かさは、よくご存じです。罪過もあなたには隠れもないことです。」詩編69:6
「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」エフェソ1:7
ある牧師がこのようにおっしゃっていました。
「神様は、ありのまま、そのままの私たちを愛してくださっているんですよ。私たちはこの神様の前に無理をしたり、着飾ったりする必要はないんです。ありのまま、そのままの私たちで、神様に思いを向けていくことができるんです。」
その牧師は「まず、そこから始まるんですよ」ということを強調して語っていました。そして、そのことを踏まえて、加えて、次のようにもおっしゃっていました。
「だけどね。私たちが本当の意味で、神様の愛に出会い、その愛に捕らえられていくなら、私たちはそのままではいられなくなっていくのだと思います。私たちが神様の愛に捕らえられていくとするなら、その愛は私たちを変えていくのです。」
私の中で忘れられない言葉です。そんなふうに、私たちはいつもそんなふうにイエス様に出会うことができたらと思うのです。
昨日、祈祷会の聖書の分かち合いでこんな意見が出されました。
「以前まで、自分は聖書の色々な御言葉を読む時、すぐにクリスチャンとして『こういうふうにならなければいけない』という思いで受け止めていた。そういうふうに受け止めている時、聖書の御言葉が苦しかった。けれど、今はそうではないんだなという受け止め方に変えられた。一つ一つの言葉は、私にとっての恵みの言葉なんだと受け止められるようになった。」
お話を聞きながら、その方の気持ちがよく分かるなと思いました。私たちはどうしても、「こうあるべき」「こうじゃなければいけない」という思いになってしまうことがあるんじゃないかと思います。聖書の御言葉を読む時も、ついそういう読み方になってしまうことがあるのではないでしょうか。しかし、そんな受け止め方が、せっかくの神様の恵みを見えなくさせてしまっていることがあるかも知れないと思います。そんな中、その牧師が語った「神様は、ありのまま、そのままの私たちを愛してくださっているんですよ」「まず、そこから始まるんですよ」との言葉に立ち戻っていけたらと思います。そんな中、神様の愛によって、取り扱われ、変えられていったらと思うのです。
本日の箇所には、次のように記されています。
「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」
本日の御言葉を読みながら、改めて、「神様は、ありのまま、そのままの私たちを愛してくださっている」とのメッセージが心に迫ってきました。このメッセージを心に刻みながら、今日一日、神様の豊かな恵みに生かされていくことができたらと思います。