本日のローズンゲンの御言葉です。

「主よ、憐れんでください/わたしは苦しんでいます。目も、魂も、はらわたも/苦悩のゆえに衰えていきます。」詩編31:10

「弟子たちは近寄って起こし、『主よ、助けてください。おぼれそうです』と言った。イエスは言われた。『なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。』そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。」マタイ8:25-26

現在、壱岐教会に送るためのモニターの準備をしています。壱岐教会と福岡市内の教会ともっと密なコミュニケーションで繋がることができるようになるためです。西戸崎教会から受け取ってきたテレビの動作確認を行なった後、テレビのスタンドを購入することになりました。しかし、いざテレビスタントを組み立ててみたところ、テレビに装着できないことが分かりました。散々調べて購入したつもりだったのですが、西戸崎からいただいてきたテレビが少し古い機種だったので、現在の規格に合わない作りとなっていたのです。せっかく取り寄せたテレビも、テレビスタンドも無駄になってしまうのだろうかと思いました。それでも何とかできないだろうかと考え、とりあえず、ホームセンターに行くことにしました。しかし、ちょうどよい部品が見つかるかどうか心配でした。とにかくお店に入る前に祈ることにしました。

「ここまで神様が導いてくださったのですから、このことの最善の解決も神様に委ねます」。

そのように祈りながら、お店に入ったところ、ちょうど良い部品が手ごろな価格で売っていました。「これなら何とかいけそうだ」と思い、部品を購入し、帰ってきて、装着してみたところ、無事、テレビをテレビスタンドに装着することができました。本当にホッとしました。本日の御言葉には、次のように記されています。

「弟子たちは近寄って起こし、『主よ、助けてください。おぼれそうです』と言った。イエスは言われた。『なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。』そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。」

本日の箇所には、嵐に悩まされながら、イエス様に対して「おぼれそうです」と叫んでいる弟子たちの様子が記されています。弟子たちに対して、イエス様は「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」と語りかけました。以前、この箇所を読みながら「船の中で嵐に遭遇したら、誰だって怖がるんじゃないかな」と思い、そんな弟子たちを「信仰が薄い」と指摘されたイエス様が少し厳しく感じました。しかし、イエス様はここで弟子たちを叱っておられるんじゃないかと思うのです。イエス様は、何より、この嵐のただ中にあっても、神様が共にいて、神様がこの問題を取り扱っておられるんだよということを伝えようとされているのではないかと思うのです。「目の前の嵐だけを見るのではなく、この問題を神様が共に担ってくださっている。取り扱ってくださっている。だから、心配しなくていいんだよ」と呼びかけているのではないかと思うのです。ふと、昨日のテレビスタンドのことを思いました。テレビとテレビスタンドの規格が合わず、「もうダメかな」と思ったりしたのですが、神様の取り扱いで解決に導かれました。私たちの歩みは、そのように神様に取り扱われているのだと思います。何より、その神様に信頼しながら、その都度、神様に私たちの悩みを打ち明けながら、神様に聞きながら、一歩一歩歩んでいきたいと思いました。                    

    鈴木牧人

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