本日のローズンゲンの御言葉です。

「このチーズ十個は千人隊の長に渡しなさい。兄さんたちの安否を確かめ、そのしるしをもらって来なさい。」サムエル記上17:18

「すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。」ルカ5:18

本日の箇所には、次のように記されています。

「すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。」

ここには、四人の友人たちが、中風を患っていた人をイエス様のところに連れていこうとしている姿が記されています。この人たちは、どんな思いでこの中風の人をイエス様のところに連れてきたのでしょう。イエス様のところに連れてくるためには、色々な障害がありました。まず、中風の人は自分では動けませんでしたから、彼をイエス様のところに連れていくためには、彼のことを担いでいくしかありませんでした。そのことも大変だったと思いますが、そんなふうにしてまで中風の人を連れていくことに対して、中風の人を説得することもあったかも知れないと思ったりします。どれだけ「イエス様のところに行こうよ」と呼びかけても、「行くのも大変だし、みんなの迷惑にもなってしまうから僕はいいよ」と拒まれてしまうことだってあったりしたんじゃないかと思います。また、せっかくイエス様がおられる家の前に来ても、そこにはたくさんの人だかりができていて、とてもイエス様のところには近づけませんでした。その様子を見て、「こんな状況なら、ダメだ」と諦めてしまうところだったかも知れません。しかし、それでも四人の友人たちは諦めずに、この中風の人をイエス様のところに連れていこうとするのです。この友人たちの思いとしては、「どうしても、彼をオエス様のところに連れていきたい」「彼にイエス様に出会ってもらいたい」という思いだったのだと思います。

私はこの四人の友人たちの姿を見ていく時、「これが伝道の原点なんじゃないかな」と思います。私たちの周りにはイエス様を必要としている人がいます。心のどこかでイエス様との出会いを求めている人がいます。しかし、その人がイエス様に出会うには様々な壁が立ちはだかっていることがあります。「自分はいいよ」と最初から思ってしまっていたり、イエス様に近づこうとしても、色々なことに躓いてしまったり…。そんなふうにしてイエス様に出会うことができないでいるということがあるのではないでしょうか。教会の前を何度も通り過ぎながら、ある時、勇気をもって教会の扉を開けて、教会に来たという姉妹がいます。そんなふうに、色々な思いがありつつも、イエス様のもとに来ることを阻んでしまっている色々なものがあったりするのではないでしょうか。私たちはそんな隣人を祈りに覚えながら、この四人の友人たちのように、その人と寄り添いながら、壁を乗り越え、その人がイエス様に出会うことができるように努めていこうとしていくのです。それが私たちにとっての伝道なのだと思います。

鈴木牧人

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