本日のローズンゲンの御言葉です。
「このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。」歴代誌上29:14
「病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」マタイ10:8
本日は「灰の水曜日」です。教会暦では、本日から受難節に入ります。イエス・キリストが私たちの罪のため、十字架に向かわれたことを覚え、そのことの意味について改めて思い巡らせる時を過ごしていきたいと思います。先日、ミャンマーでの軍事クーデターから3年が経った祈りの中、ビルマ語による礼拝を行ないました。その時に献げられた献金をMさんご夫妻にお渡し、タイでミャンマーの方々の支援のために働かれている団体に届けていただくことになりました。昨日、Mさんご夫妻から、無事、募金を届けていただいている様子の写真が届きました。Mさんご夫妻のお働きに感謝すると共に、改めて、ミャンマーのことについて祈らされました。
ミャンマーを初め、私たちのこの世界では今も様々な心痛める出来事が起こされています。そのような現実を思う時、改めて、イエス・キリストの十字架の姿が心に迫ってきます。罪の世界に迷い、悩み、苦しむ私たちのために、イエス・キリストは来てくださり、十字架を背負ってくださったんだということ、そして、このイエス様の許に私たちの救いと希望があることを思うのです。
本日の箇所には次のように記されています。
「病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」
本日の御言葉には、イエス様が弟子たちを遣わしていく様子が記されています。弟子たちはイエス様から派遣されるにあたって、金貨も銀貨も銅貨ももっていませんでしたし、袋も二枚の下着も、履物も杖も持っていませんでした(マタイ10:9-10)。そのように、他の人たちのように豊かに何かを持っていたわけではありませんでしたが、彼らにしかできないものが与えられていました。「福音に生かされる」ということは、そういうことなんだと思います。私たちは、この世にあって、裕福であるわけでも、地位や力があるわけではないかも知れません。しかしながら、私たちが与えられた「福音」は、時に傷ついた人を癒し、生き返らせ、その人を本来のその人に回復させ、清め、あやまった道に向かわせようとする「悪霊の力」から、神様に捕らえられた歩みへと立ち帰らせてくださるのです。私たちは、悩み、傷つき、迷いの中にある世界の中、この「福音」を大胆に宣べ伝えていくことができたらと思います。そのためにも、十字架と復活のイエス・キリストにしっかりと心を向けていきたいと思います。
鈴木牧人