本日のローズンゲンの御言葉です。

「あなたたちは、あなたたちの神、主の子らである。死者を悼むために体を傷つけたり、額をそり上げてはならない。」申14:1

「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。」ガラ3:26

本日の箇所には、次のように記されています。

「あなたたちは、あなたたちの神、主の子らである。死者を悼むために体を傷つけたり、額をそり上げてはならない。」(14:1)

当時、人々は誰かが召され喪に服す際、死者を悼むために体を傷つけたり、額を反り上げたりしていました。そのような状況の中で「そんなふうにしてはならない」と語られているのです。当時の人々は自分たちの悲しみ、悼みをあらわすために、そうしていました。ですから、「それをしてはならない」と言われてしまうと、「そんなふうに言われて、亡くなった人に対して、冷たいんじゃないか」と思ったりしたかも知れません。しかし、注目したいのは、申命記14:1に続く御言葉です。

「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は地の面のすべての民の中からあなたを選んで、御自分の宝の民とされた」(14:2)。

ここには、「死者を悼むために体を傷つけたり、額をそり上げてはならない」というメッセージに続けて、「あなたたちは、神の民であり、神はあなたたちを御自分の宝の民とされたんだ」ということが記されています。この御言葉を読む時、二つのメッセージが心に迫ってきます。一つは、私たちにとって人生で最も辛く、悲しい出来事の最中にあって、そんな私たちを包みこむように、「神様が共にいてくださるんだ」と語りかけられているメッセージです。悲しみ、痛みのただ中で、「私たちは神の民なんだ」「神様は私たちを宝の民としてくださっているんだ」と呼びかけてくださっているのです。その神様を見上げる信仰によって私たちは慰められ、励まされ、死者を悼むために体を傷つけたり、額をそり上げたりしない、そうしなくていいんだ、という歩みに生きることができるのではないでしょうか。もう一つ思うのは、神様からの「あなた自身を傷つけないで」という切なるメッセージです。もし、私たちにとってかけがえのない誰かがいて、その誰かが自らを傷つけようとしているとします。そうする様子を見て、私たちは平然としていることができるでしょうか。思わず、「そんなことしないで」と声を挙げるのではないかと思います。神様がそのように私たちを思っていてくださり、「体を傷つけたり、額をそり上げてはならない」と言われているのではないかと思ったりするのです。そのことも私たちにとってかけがえのないメッセージなのではないかと思います。

私たちの日々の歩みにも悲しみや痛みを経験することがあります。孤独を通らされたり、先が見えないような思いにさせられることもあります。そんな中、本日のメッセージに慰められ、励まされながら、歩んでいきたいと思います。また、同時に思うのです。もし、私たちが、このメッセージに慰められ、励まされながら、同時に、私たちの隣人に対して、同じ神様の眼差しが注がれているんだということを心に刻むことができるなら、私たちは誰かを傷つけ、自分を傷つけるような争いへと向かうことがないのではないでしょうか。受難週に心を向けるこの時期、この神様のメッセージを一人でも多くの人と分かち合うことができたらと思いました。

鈴木牧人

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