「その証しを受け入れる者」

ヨハネによる福音書3章31-36節

 本日の箇所で、バプテスマのヨハネは、弟子たちに「上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。この方は、見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない」(ヨハネ3:32-33)と言われました。ここで言われている「上から来られる方」は、「イエス様」のことです。イエス様は天から来られ、私たちに対して、御自身が見たこと、聞いたことを証ししてくださいました。けれど、人々は誰もその証しを受け入れないんだと語られているのです。本日の箇所を読む時に、これまでヨハネによる福音書の記述を振り返ってみていきたいと思います。たとえば、ヨハネ2:13-22の「宮清め」の出来事でも、ヨハネ2:23-25の「エルサレムの人々」の記述でも、ヨハネ3:1-21のニコデモも、そこに記されているのは、イエス様の証しを受け止められず、イエス様と人々との間に大きな溝がある様子でした。そのように考える時、本日の御言葉というのは、これまでヨハネによる福音書が語ってきたことの総括のようなメッセージだと言えるのではないでしょうか。そして、それというのは、私たち人間の歩み全体の総括と言えます。イエス・キリストは、「上から来られた方」、父なる神から遣わされた神の独り子です。このイエス・キリストは、私たちに神様のこと、天のこと、その真実と真理を証ししてくださいました。しかし、それを聞く私たちは、そのことを受け止められず、未だにイエス様と違う方向を見ていたり、イエス様のおっしゃることが理解できないでいる私たちがいるのだと思います。私は自分自身のことを思ってもつくづくそう思います。イエス様とニコデモとのやり取りなどを読む時、いつも自分自身の姿が重なってきてしまいます。ニコデモは、イエス様のことを求めているのに、イエス様のおっしゃることを素直に受け止められず、「だけども、イエス様」というふうに、自分の言い分ばかり述べて、イエス様に反発ばかりしていました。聖書のことをそれなりの勉強してきたはずなのに、肝心なことは何も分かっていないで、イエス様に対して、いちいち検討外れのことばかり言いながら、最終的にイエス様から「あなたは、こんなことが分からないのか」と言われてしまいました。そんなニコデモの姿をみていく時、自分もきっとそうなんじゃないかなと思うのです。
 そんな自分を思いながら、「その証しを受け入れる者は、神が真実であることを確認したことになる」(3:33)という言葉が心に迫ってきます。この御言葉を読む時、神様が、それでも私たちを諦めず、ご自分のところに招こうとしておられるということを思います。どこまで行っても、頑なで、的外れな部分を抱えていて、イエス様の証しを受け入れることができない私たちがいます。しかし、それでも神様は、私たちを諦めずに招いてくださっているのです。そして、私たちがその証しを受け入れるなら、そのことを通して、神様が真実であることを確認していく…。神様が本当だということが分かるのです。そのように、信仰の世界には、「信じる」ということから始めていく時に、分かってくることがあるのです。

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